カートとコートニー
ギブス。当時は聴こうとも思わなかった曲。(中学生くらいだったと記憶している)
最近BLUE ENCOUNTがカバーをして聴いて原曲の虜になった。歌詞もメロディもなにもかもが素晴らしい。
甘ったるい恋愛の曲にはめっぽう共感できないのだが、この曲はなぜかしっくりくる。
歌詞自体は激甘なのに、力強く歌っているからこそ聴けるのかもしれない。
あなたはわたしの写真を撮りたがるけどわたしが古くなるのが嫌だから撮られたくない。
あなたは絶対というけど冷めてしまっちゃえば嘘になるからわたしは絶対って言葉は嫌い。
高校生の女の子が『だってカートみたいだからあたしがコートニーじゃない?』って。
すごい話だ。私なんて32歳でやっとこの言葉の意味がわかったというかシチュエーションが理解できたのだ。
嫌味をたくさん言っているように聞こえるが、きっとこの2人はとてつもなく愛し合っていて、甘い時間が流れていることは言うまでもない。戯れあっているのだろう。
そしてカートとコートニーのところで姐さん女房的な歳上の彼女ということまでわかる。
歌詞自体はそんなに長くないし、曲自体も短めだ。でも短い歌詞の中に2人の世界観が誰でも想像できるようになっている。
グッとくる。彼女は天才なのだろう。
昔はこういう曲を聴いてもなにも感じなかった。恋愛の曲に関しては「ふーん」ぐらいで興味がなかった。だが最近共感できるようになってきた。(成長)それは自分がたくさん経験してきてその場面場面で共感できるシチュエーションが増えたからなのだろうか。この曲に出てくるいじらしい女性がすごく好きなのだ。AメロBメロではいじらしくて一見ドSなのだけどサビで急に本当はドMでとっても優しくて愛に溢れ出すのだ。それが自分と重なるからいい曲と認識したのだろうか。(私は決して優しくもなければ愛に溢れているわけでもないが)
好きな人に嫌味を言ってしまったり、意地悪をして喜んでしまったり、『絶対』って言葉を根っこから信じていなかったり。でもそばにいて欲しい、ぎゅっとしてて欲しい。
私自身、この先愛に溺れてしまうような恋愛をするのか。
一緒にいる時間は有限だ。いつかは別れてしまうし、会えなくなってしまう。気持ちが途絶えてしまうことが怖くてたまらないのだ。そして何より、待ち受けているのはカートとコートニーのような『死』という別れの時だ。
そして椎名林檎とは全く関係ないが、コートニーが理想の女性なのだ。
女としての色気を持ちながら、男に媚びず、自由奔放で、セクシーで、芯の強い存在であり続けるファッショナブルな存在。美しすぎるケダモノ。私はこういう女性に強い憧れを抱いている。自分もそうでありたいと思っている。
私自身、どちらかといえば甘い顔をしている。それをとてもコンプレックスに思っている。もっと切れ目のキリッとした芯のある強そうな顔に生まれたかった。なので、メイクなどで個性的で強そうに見えるようなクールな印象になるよう努力している。先日有名なカラーリストの方にお会いする機会があったのだが、その際に「あなたはすっごく特殊な雰囲気を持ってるわね」と30人以上いる空間でわざわざ私のところに歩み寄ってきて言われた。何千人以上見てきているプロの方にも驚かれてしまった。どうやらかなり珍しいらしい。
「顔立ちは完全にフェミニンで可愛らしい春顔なのに、あなたはそれを好きだと思っていない。だから強く芯のあるクールな女性に見えるようメイクやファッションを選んでるのね。そしてあなたは何にも型にはまらない。ブルベ、イエベ両方の要素も持ってるし、春夏秋冬全部持ってる。そしてフェミニンな可愛らしい春顔の人は黒に負けるのにあなたは黒に負けない。すごく魅力的ね。あまりいないわよ。」と仰っていた。
強いて言うなら上半身秋、下半身は春がいいというよくわからないアドバイスをいただいた。
やはり自分が持ってないものに憧れを抱くのだ。椎名林檎やアイナのような力強く掠れたハスキーボイスや、コートニーのような破天荒で大胆でかっこいい女性に。いくら自分がフェミニンな顔立ちだろうと私は一生かっこいい女性でいたいのだ。
そして色気を持ちながらセクシーで自由奔放な誰にも捕まえられないような魅力的な女性でいたい。そして最後の最後まで愛する人を愛しぬく強さを持った女性になりたい。