日常。音楽多め。

12月

『やがて訪れたよね さよならの声 忘れはしないよ』

https://youtu.be/O13MtmA-16g

 

すごくいい。

 

さよなら、おやすみ、また明日。すごく好き。

 

 

 

 

こういう季節になると寂しさが嬉しくなる。

『寂しさが嬉しい』矛盾してるが、私の中では立派な感情なのだ。寂しいより恋しいの方が正確なのかもしれない。

寒さは寂しさを強増させる。それが嬉しい。

 

 

決してネガティブなことがあったわけではなく、毎年こんなことをこの時期に考えている。

 

クリスマスコフレを漁り、自分への誕生日プレゼントを探す。毎年のルーティンだ。そしてその過程でいつも寂しくなり嬉しくなる。

 

 

街ゆく人たちがクリスマスムードに浮かれている中で哀愁を抱えてる自分に酔っているのが好きなのだろう。

 

『みんなは浮かれて、誰かと寄り添って歩いているけど私は1人』ということに謎の優越感すら抱く。

 

1人が好きでずっと1人でいたいわけではない。私にも一緒にいたい人はいる。凪のお暇で出てきた『私には最終兵器がある』的な感じ。まぁ、その話はいい。

 

 

もちろん私も浮かれていた時期はあった。クリスマスあたりになるとそわそわしていた若かりし頃もあった。ただ、数年前に突然気付いたのだ。世間一般的なワクワクが欲しくてなぜかクリスマスに血迷ってディズニーランドに行ってしまったのだ。私にとってそれは地獄以外の何物でもなかった。あまりはっきり書くと批判になってしまうので避けたいが、キラキラが自分にとって痛くて大怪我をして帰宅した。

その辺りから私は無理してキラキラしなくてもいい、と思うようになった。(そもそもキラキラなんて歳はとっくに過ぎている)

 

周りの年末浮かれモードに流されずにいたいと思うことすらも最近思わなくなった。あくまで私は日常に過ぎない、と。

仕事柄、クリスマスや年末感を感じざるを得ないのだがそれは仕事モードの時だけでスイッチを切ることにしている。そしてそのスイッチを切ったときに寂しさがくるのだ。今年は暖冬なのにその時期が何となく早くきている気がする。

 

 

『私は独りだ』と思うことで得られる嬉しい感情。不思議だし周りからは共感してもらった記憶はない。でもすごく笑顔でたくさんの人や街を横目に歩いている。

 

 

きっと総じて私は哀愁漂う人やもの、場所や自分をこよなく愛しているのだと思う。音楽だってそう。そういうところにグッとくるのだ。クリスマスにぽつりと売れ残ったケーキ、捨てられた装飾、さよならの曲、マイナーコードとメジャーコードが散りばめられた曲、暗い映画、寂れた観覧車、雨の日、繁華街の路地裏、孤独を感じている自分、自分と同じように生きづらそうにしている人、すごく考えているけど無表情で口数少ない男性。

 

 

 

でも孤独を愛しているわけでもない。

ただ『何となく』なふわっとした『寂しさが嬉しい』という感情。そんな感情を持ちながらも手を繋ぎたいし、抱き合いたいし、人と繋がっていたいと思う。

矛盾だらけ。きっとこの先も変わらない気がする。

 

 

 

 

今年は誕生日に何を買おう。どこへ行こう。どんなショッパーを持って街を歩いて『寂しさが嬉しい』を感じようか。好きな季節がやっときた。