過去と未来と自分と今と
過去にも今にも思い出になったこと、思い出したくないこと、忘れたくないこと、忘れちゃいけないことがある。
沢山沢山ある。悔しくて悲しくて切なくて泣いたことも沢山ある。
素敵な出逢いもあったし、身がちぎれそうなさようならもあった。
どうしたって、矛盾を繰り返す私は、そのたびに自分がアホらしくなって、そのたびに誰かに、何かに救われた。
たまに、どうしようもなく世界に置いてきぼりにされたような気になることがある。
そういう時に限って空は青くて、生温い風が吹く。
街がどうしようもなく楽しそうに見えて、孤独ではないが、置いてかれて行く気がしたりする。焦りに苛まれる。
どうして?なぜ?どうやったら?なんだったの?なんて過去を乱暴に探る。誰かの、何かのせいにしようと、必死になって探す。
そのたびに、ふっと可笑しくなる。そこにあるのは、いつだって自分自身が生み出したものだと気付くから。
なんて、感傷にひたっている自分自身がまたなんかアホらしくなって、考えるのをやめて、気付けば眠りについて、また朝を迎える。単純なもので、目が覚めるとまたヘラヘラ笑ってたりもして、だからまた繰り返す。
決意と怠惰、完全に相反していて矛盾している。
どこか悲観的ではなく、そういうものなのかなって最近少し思う。
怠惰に対して喧嘩を売るように決意して、それを遮るのがまた自分。
HAVE→DO→BEのサイクルから抜け出したくて必死にBE→DO→HAVEの思考に無理やり切り替えるくせにまた同じことを繰り返す。そして忘れる。
誰と、何と戦う以前に、きっとずっとそうやって自分に啖呵切って生きてくんだろうな。
それって悪くないと今は思う。
過去と未来、理想と現実。
相反する二つを両手で抱えて、その間いる私はどこにいたって何をしたって、一人だ。誰かと分かち合えるわけではない。いつだって一人だ。ありのままとか、演技をしてるとか、どっちでも良い。何だっていい。
全部ひっくるめて、私だ。
ありがとう、ごめんね、おはよう、おやすみ、楽しい、悲しい、むかつく、嬉しい、感動、好き、嫌い、会いたい、会えない、寂しい、苦しい、後悔、決意、不安、期待、疲れた、卑しい、裏切り、絶望、希望、喪失、過去、未来。そんな全てでとっちらかった今がとても愛おしい。
隠さなくていい、忘れなくていい、捨てなくていい。
いや、隠してもいい、忘れてもいい、捨ててもいい。
どっちだっていい。
そうやって繰り返して今を生きている。
悲しみのあとに幸せもある。
泣いたとしても笑うことができる。
怒ったとしても許すことができる。
愛想笑いが本物の笑顔になることもある。
いつだって相反するものを両手に抱えてこれからも生きていくのだ。
そしてそんな自分とこれから何十年も付き合っていく。こういうことを考えていると自分は自分の感情に支配されただけの個体にしかすぎない。受け皿でしかない。自分の魂と別のところに自分がいるような気がする。不思議な感覚だ。
今晩こうやって考えていることも寝て起きたらどうでもよくなっているんだと思う。
そんな毎日が今は愛おしくてたまらない。
今を自分を過去を未来をもっともっと愛したい。
おやすみなさい。明日の朝また相反するおはようが言えますように。