日常。音楽多め。

Emoとの出会い〜高校生編〜

私のEmoとの出会いを書きたいと思う。

 

本当の原点を辿れば小学校時代にまで達してしまうので、それはやめておく。

 

高校生の頃、すでに音楽は好きだった。音楽の話をしよう、と思っても周りに誰1人として私が好きなジャンルを聴いている人はいなかった。

 

「音楽何聴くの?」の質問に何も答えられずにいた。いまだにこの質問はされて困る質問だ。

 

言ってしまえば派手な高校生だった。髪は金髪に染め、エクステ(古い)をつけ、つけまつげを瞬かせ、濃いメイクにミニスカート。とても音楽が好きな見た目ではなかった。

友達もたくさんいた。学校帰りにスタバ片手にプリクラを撮りまくっていた。至って普通のその辺にいる派手ないわゆるギャルな高校生だった。

 

そんな私がなぜEmoという目立たない地味なジャンルの音楽を聴くようになったのか。

それは自分でもわからない。

 

普段の過ごし方の中でもどこか満ち足りてなかった。違和感すら抱いていた。それは本質が根暗だからということは後に大人になってから気づくことになる。

 

周りのみんなが「美しい」とか「かっこいい」というものに全く共感できなかったのだ。そのあたりから自分の感性は一般的ではないと思い始めたのだった。テレビなども一切見ない高校生だった。当時流行っていた音楽の話になっても入っていけなかったし、共感できずに苦しんでいた。

「わかる〜超いいよね〜」の一言すら言えなかった。幸いにもこの頃よくあるような『ハブ』

にはされずに終わったが、明らかに感性が変わっていることは自他共に認めていた。

 

 

私は電車に乗って1時間以上かけて通学していた。途中駅で友人が降りるとすぐにイヤホンを取り出していた。一刻も早く自分の好きな音楽が聴きたかった。そして家に着くと自室のPCの前で音楽をひたすら漁っていた。そんな毎日を送ったいた。1人で音楽を漁る時間がとても幸せだった。

 

当時はまだEmoというジャンルができ始めた頃だったと記憶している。CDショップに行っても確か『オルタナ/エモ』と一括りにされていたと思う。

そして田舎に住んでいたこともあり、当然CDはあまり置いていなかった。通販でよくCDを取り寄せて購入していた。バイト代はほとんどCD代に消えていった。周りに共有できる人もいなかったので、そこで私はチャットやメッセンジャーを使い始めた。

 

 

そこである男性に出会った。東京在住、古着屋でのバイトの傍らバンド活動をしている22歳。「いかにも」な人だった。その人はこの辺りのジャンルにとても精通していた。毎日のように話しかけ、ひたすら音楽を教えてもらった。毎日家に帰り、PCを立ち上げ、メッセンジャーを立ち上げた際に彼がオンラインになっているかチェックするのが日課になっていった。最初は教えてもらう立場だったのが、私も自分から話をしたいがために私も教える立場になっていた。

後にこの方とは東京で上京後、はじめましてをすることになるのだが、わりかしこの界隈では有名なお方だった。そして彼は私を見てとても驚いていた。(相当な芋女子高生だと思っていたらしい)

 

 

 

当時学校ではバンドブームが起こっていた。

といっても誰もが知るようなバンドだ。

「邦楽ロック好きな人が◯組にいる」そんな噂が入ってくるたび話しかけに行った。

 

私「私OCEANLANEとか好きなんです!」

Everlasting Scence

Everlasting Scence

相手「...?俺は175R。知ってる?」

 

全く噛み合ってなかった。

 

「結構本格的に洋楽ロックが好きな人が◯組にいる」という話を聞いた時もそうだった。

 

相手「oasisとか知ってる?(知るわけないか、ドヤ)」

私「(知ってるし好きだけどそうじゃない)

し、知ってる!好きだよ!」

 

 

やはり全く話は噛み合わなかった。やはり自分は異常なんだと悟ってからは音楽の話を現実世界では封印するようになった。音楽何が好きか聞かれたら『レッチリ』とだけ言うよにしようと固く心に誓った。家に帰ってからのメッセンジャーだけが音楽を共有できる時間となった。

 

 

 

私のEmoの入り口はThe Get Up KidsJimmy Eat World、そして当時タイムリーで全盛期であったFinchHoobastankだった。

のちにOCEANLANEComeback My Daughterssomething corporate、Jack's Mannequin、SAOSINなどなど『Emo』の中でも様々なジャンルへと世界が広がっていった。もうここまでくるとピアノエモ、ポストロック、ポストハードコア、スクリーモなどの話にまで広がってキリがなくなってしまうのでこのへんで。

 

 

 

Emoとの出会いは私の中ではとても大きな出来事だった。多感な時期に自分の中の溢れ出てくるような感情を代弁してくれていた。

学校生活でのあれこれ、恋愛でのあれこれ、親とのあれこれ、バイト先でのあれこれ。

何もかも消化させてくれた。時に感傷に浸り泣くこともあった。時に涙を流しながら笑うこともあった。何よりも人間臭く、人間らしく、美しく、とても優しいのだ。モテないダサ男の叫びは私にとって癒しだった。

 

 

高校生で知ってしまったこの世界はとても居心地が良い。誰に共感してもらえなくてもいい。自分のものだけにしておきたいとすら思っていた。こんな高校時代を過ごしたので、大人になった今でも音楽だけではなく、映画や人に至るまで『エモい』もの、『エモい』人が好きになっていった。

 

 

こう振り返ってみると、今現在の人格もこの時期の感情や状況も影響している。人から共感を得られなくてもいい、自分さえ好きでいればそれでいい。誰に惑わされることなく、自分の好きなことだけをとことん突き詰めていく。誰にも理解してもらえなくても自分の中で熱く思っていることがある人は素敵だ。根暗なヲタクがタイプ。好きなことへの情熱が半端なく、勉強熱心でいたいし、そんな人が好き。そして天邪鬼。この辺りからひん曲がってくるが、みんながいい、と言っているものを素直に受け取れない、ミーハーでいたくない、変態、性格が悪い。

 

 

株が下がりそうなのでこのあたりで。

 

私は独特な自分の感性がすごく好きだ。

誰から理解されなくとも、理解されるための建前で生きていたくない。Emoから学んだ美しさや切なさ、儚さはこれからもずっと一緒に生きていくだろう。

 

 

 

 

 

 

そして話は戻るが、OCEANLANEComeback My Daughtersのライブに何が何でも行くんだ、と東京への進学を決めた。

 

 

 

Emo大好き女子高生はその後大学に合格し、上京する。

上京後、さまざまな人に出会い、そのEmo好きは更に加速していく。

その話はまた今度書こうと思う。