日常。音楽多め。

鷺ノ宮LOCAL SOUND STYLE

LOCAL SOUND STYLE

 

男臭く、粗削り。なのに美しく儚い。

Japanese Emo。聴きやすいメロディラインの中に繊細でありながら力強いギター、そして何と言ってもこの美しすぎるハイトーンボーカル。私は大好きでもう数年聴き続けている。

 

 

 

 

 

先日、私は終電間際の西武線に揺られていた。

鷺ノ宮のアナウンスにイヤホンから流れる音楽をLOCAL SOUND STYLEに変えた。

 

私は鷺ノ宮にゆかりはない。行ったこともない。ただ、親しい人から聞いた思い出話やその場で過ごした青春時代の話を聞いただけですっかりエモーショナルな街、という認識になった。

 

私は周りの親しい友人や恋人などの思い出話を聞くのがとても好きだ。その人の過ごしてきた時間がどのようなものだったのか、その時どのような感情を抱いていたのか自分ごとのように想像してみる。するとより距離が高く感じたり、幸福感を感じることができる。恋人であったとしても過去の恋愛の話を聞くことですら好きである。嫉妬などの感情を生むためのものではなく、ただ純粋に思い出話を聞くのが好きだから知りたいのだ。(ここに関しては周囲から共感してもらえない。)

 

 

 

夢を追いかけて上京。同じ趣味を持ち、それぞれ日々を過ごしていた20代前半の男性2人。ひょんなことでネットで知り合い、偶然にも同じ街に住んでいた。それから意気投合し、仕事やバイト終わりに毎日鍵の開いた片方の家に上がってお互いの話をダラダラして話し終わったら帰る。1年のうち360日は会っていた。

話もまるで身がない他愛もない話だ。

好きな人ができただとか、好きな人のことが好きすぎてどうしようだとか、いい音楽見つけただとか、今日はこんなことがあっただとか。その当時にLOCAL SOUND STYLEを聴きながら夜な夜な語り合っていた。

そのうちお互いの人間関係も交わっていった。お互いの友人が加わり、彼女が加わり、その2人を中心にその輪は少し広がっていった。そしたひょんなことでのちに私も2人の人間関係に入ることになった。

人との出会いは奇跡だ。同じ街に住んでいるのに、知り合っていなければ駅ですれ違っても気づかない。それが少しの接点で一気にそれぞれの生活が身近になる。

 

 

そのうちお互いに別々の街に住むことになり、会うことも少なくなり、疎遠になりつつあった。1人は東京から600キロ以上離れた街へと引っ越していった。お互いにまた新たな人生が始まっていった。2人は30代半ばになり、お互いに結婚し、子供が産まれ、『あの頃は楽しかったなぁ』と思い出す程度。口に出すことはなくなっていった。

LOCAL SOUND STYLEも2011年を最後に活動を休止していた。

 

 

 

 

そんな思い出話を聞いて私はすっかりその2人が過ごした鷺ノ宮を気に入った。(もう一度書くが、降りたことはない)

2人にとってLOCAL SOUND STYLEは鷺ノ宮の思い出だった。私自身にとってLOCAL SOUND STYLEは神泉の思い出なのだ。この話はまた機会があれば書こうと思う。

 

 

そして、この物語には続きがあった。

2019/10/28 止まっていた時が動き出した。8年ぶりにLOCAL SOUND STYLEが始動したのだ。

 

私自身のLOCAL SOUND STYLE再始動への気持ちを書きたいが、この話は私ではなく2人が主人公なのでやめておく。

 

 

疎遠になっていた2人もやはりこのことばかりは連絡を取り合っていた。数年ぶりの再会の口実には十分すぎる理由であった。私はそのやりとりを知ってとても嬉しく思った。男性は女性に比べて口数が少ない。そしてこの2人はとても穏やかなので、きっと軽く言葉少なく連絡を取り合ったのだろう。それでもその一言二言にそれぞれの気持ちが滲んでいたことは想像できる。(一方で私は賑やかでさらに興奮すると語彙力が普段以上になくなるので、やばいすごいどうしようしか言えていなかった)

 

 

 

やはり音楽は素晴らしい。そう改めて思った出来事だった。ただ娯楽として聴くだけでなく、こうやって人の再会を助けてくれる。

 

私はこの2人をそれぞれ知っているが、2人が会っている姿、一緒にいる姿を見たことがない。

実際にこの鷺ノ宮LOCAL SOUND STYLEの話を双方から聞ける日を心待ちにしている。

2人の思い出を私がまるでそこにいたかのように微笑みながら話を聞く姿は安易に想像できる。

 

きっと私にとっても大切な思い出になることだろう。

 

 

動き出してくれてありがとう。と心から伝えたい。