日常。音楽多め。

アイデンティティ

最近めっちゃくちゃかっこいいスニーカーを手に入れものすごくテンションが上がった。

 

仕事用なので、普段履くことはないけどちょっとスニーカー熱が出てきた気がする。

男性はスニーカー好きな人が多いので、参考にさせてもらえてとても頼りになった。ありがたい。かっこよすぎて触ってはニヤニヤしている。明日から履けると思うと仕事も楽しみになる。

お洒落は楽しいね、全然スニーカーとは無縁のスタイルが好きなのに1つ手に入れたらどんどん他も欲しくなってきた。ハラチ、Reebokなども元々持っていたが今回のは桁違いでかっこいい。次は絶対airmax90エッセンシャルを買う。

 

 

さて、昨日あった話。

仕事帰りに焼肉へ。(今月入って何回目か)

隣にカップル?っぽい男女がいた。

彼女はとっても一生懸命彼の話を聞こうとしていて目を輝かせていた。前のめりになって会話をしていた。

私は「なーんかえらいよね、普通のカップルはこんなに一生懸命会話しようとするの本当に尊敬するなあ…私にはできない」なんて話をしていた。

私は会話なんてせず、黙々と肉を食べている。

肉にしか目になかった。

 

ただ、私が気づかなかったのだが、どうやら彼の方はかなりつまらなさそうにしていたようだ。「私と一緒にいて楽しくないの?」って聞いていたようだ。(私は本当に気づかなかった)

彼の方は「いや、そんなことないよ」と言っていたのだがものすごくつまらなそうにしていたらしい。

心が痛かった。でもまぁそんなものなのかもしれない。心が通じていないのは辛いですよね。

彼女には伝わってたんじゃないのかな。

好きな人同士でおいしくご飯食べたいよね。

演技でもいいから楽しそうにすればいいのになあ。かく言う私も演技はできないけど。

 

 

私はよく喋る。と思われていると思う。

仕事上、コミュニケーションが大切な職業なので、ひたすら喋り倒している。家に帰ったら極力話したくない。焼肉食べながら「会話少ないよねえ大丈夫かなあ」とか言いながらも全く話をしていなかった。

でもたまに言う私のしょーもないボケに乗ってくれたり、突拍子もない話に楽しそうに乗ってくれる。私は頭の中で勝手に会話をしているので、突発的に脈略のないことを話し出すそうだ。でもそれでも笑って返してくれる。そういうのでいいんだと思う。継続して会話するのは無理なのだ。

 

 

キラキラ女子が彼の話を一生懸命聞いてる姿に男性はグッとくるのだろうか。申し訳ないのだが私は一生できなさそうな気がする。

 

そりゃあね、渋谷でアジフライを上品に食べようとしていたあの頃はそんなフリもしていた気がする。

 

でもね、今はもうお肉をおいしく食べることに集中したいのよ。一緒にいることだけ意味があって会話はそんなに重要ではない気もするのよ。知らないけど。

 

旅行だって行きたいところはたくさんあるけど、一緒に行くことに意味があって行き先は割とどこでもいい気もする。知らないけど。

 

 

あったかくなったらピクニックだなあとか、毎日は無理だけどお弁当作らなきゃなあとか、肝臓にいいもの作らないとなあ自炊嫌いだけどとか、インスト作りたいから教えてもらおうかなあ私の方が絶対センスあると思うけどとか。

 

ほんと少しのしょーもない出来事をコツコツ積み重ねていこうと思う所存です。

 

 

ただなんとなく生きていけることが最大の幸せなのよね。自分本位なのかもしれないけど私なりに最大限周りのことを考えてるつもり。つもりだけど。

 

安心して暮らせることだけで幸せなんだよ。

かっこいいスニーカーに出会えただけで幸せなのよ。めっちゃ髪切ってめっちゃかっこいい色入れてもらえてそれだけで幸せなのよ。

 

 

今仕事もやっと新しい環境に慣れてきて楽しい。アドレナリンが出ているから余計に。

半年先のことまで考えられる余裕がでてきた。

最近「◯◯さんは本当に頭いいんですね」と言われたことが嬉しかった。

もう少し慣れたらがっつりやっていきたい。

満員電車での通勤も慣れてきた。

引越しのことまで考えられる余裕もでてきた。

 

 

 

 

 

『価値観』。価値観ですよ。これが全てな気がする。

価値観の違いを受け入れられるか、価値観を分かち合えるか、否定せずに尊重できるか。ここを否定されると人格否定されたような気になるよね。生きてる価値ないんじゃないかと。なぜ人に自分の価値観を否定されないといけないのかと。自己肯定感を削られてしまう。そんなこと何回もあった。つい最近でもあったと思う。

でもそんなことで落ち込んでる暇もないし、ならそういう人からは自分から離れればいい。

自分を守らないといけない。

 

 

ちょっと何を言いたいのかわからなくなってきてしまったけど、何もないことが幸せなんだということだと思う。

 

 

最後に。最近聴きまくってる曲をば。

めっちゃくちゃエモいしかっこいい。大好き。

 

 

人の気持ちを理解すること

自分の気持ちだけじゃ上手くいかないことを痛感した出来事があった。

 

夢にまで出てきて、でもなかなか前に進めず気付かないふりをしていたけどようやく再開できた。

私は自分の気持ちばかり考えてしまうとてもダメな人間だと思った。反省。

 

 

本当に久しぶりに清々しい気持ちでいる。今年に向けて、未来に向けていいスタートが切れた気がする。課題を克服した的な。

 

もっともっと相手の気持ちになって色々考えようと思った出来事だった。もう夢には出てこないだろう。

 

 

ものすごい勢いでしゃぶしゃぶを食べていたはずなのに、勇気を出して切り出してからは食欲が無くなった。そして言葉も少なくなった。

人々と逆方面に歩いた。そして夜には雨が降っていたはずの空が翌日の昼は快晴。日差しが眩しく、気怠さが残る中また人々と逆方面に歩く。その風景がすごく印象的だった。

 

 

 

 

職場が変わり、環境が変わり、そしてプライベートも変わり、今激動の中にいる。

ぽかぽかあたたかい気持ちでいる。自分に対して愛を持って接してくれる人をしっかり大切にしようと改めて思った。しっかり逃げずに向き合わないといけないと思った。

 

 

私はきっと短命だ。だからたくさん思い出を作っていきたい。これからもっと仕事を頑張って、やりたいことをやって、たくさん旅行に行って、たくさんおいしいものを食べて、たくさん好きなものを買って、たくさん好きな音楽に触れて、そして結婚して子供を産んで子供の成長を見たい。

 

 

しょーもないことに時間を取られてる場合ではない。最近しょーもないことで悩んでた自分がバカらしい。目は前にしかついてない。

 

 

楽しい。人生はきっと楽しい。

私は本当に幸せ者なのだと。

幸せ者なくせに、気づけていなかった。

幸せは訪れるものでも待っているものでもなくて、今ここにあることに気がつくものなのだ。

普遍的な形をしているのだ。

 

 

自分を不幸にする人と一緒にいる必要もない。

一緒にいて辛い人といるものでもない。

自分を傷つける人からは離れていい。

自分を受け止めてくれないような人とは一緒にいる必要はない。

誰にしても一緒にいていつも笑顔でいれて、いつもお互い幸せな気持ちでいれて、いつもお互いを思いやれる、そんな人たちと生きていきたい。

 

 

昨日会った子たちからいつも以上に輝いてると言われた。

輝かせてくれる人がいるなら、私も輝かせてあげなければならない。

 

 

 

 

 

ただ、全身筋肉痛だ。

歌舞伎町のど真ん中のバッティングセンターに行った。110㎞の球を一生懸命バット振り回して打ってたらそれは筋肉痛になる。33歳、辛い。川島慶三のフォームに似ていると言われたことも辛い。上林のフォームがよかった。(川島慶三は大好き)

 

なぜかお腹も筋肉痛になっている。手の甲にはグリップエンドが当たった後の青タン。

体はボロボロ。体は若くない。

 

 

今日は12時間眠れた。夢に椎木くんが急にあらわれて「『化粧』は私のために書いた曲なんだ」と言われた。「私はそんなに不幸に見えるのか……」と大泣きしていた。全然意味がわからない夢だった。

 

 

また明日から現実が待っている。できることを精一杯頑張ろう。

雨天決行

誰だって『初めて』や『始まる前』は不安だ。

 

私だけじゃない。

 

 

 

昨日、「一緒に心中しよう」と言われ、

(何こいつ最初から死ぬ気でいるんだよ)

と、心の中でつっこむ余裕があるくらいあまり重たく捉えていなかった。歳下の男の子らしいなあなんて微笑ましくも思っていた。

いざとなったら私1人で切腹するので結構です🙏

 

 

 

が、帰りの電車で急に不安になり、まっすぐ帰ることができなかったので、夜遅くまで飲みに行ってしまった。しょーもないくだらない話ばっかりして現実逃避。

 

 

 

帰ってから「大丈夫だよ」「何にも心配はいらないよ」

なんて言葉で安心して寝たのはいいものの、朝起きたら全然大丈夫じゃなくなっていた。

 

 

私が心臓だと言われ私が心臓だと思い始めたらなんだかとんでもないところに来てしまったと事の大きさに足が竦んでいる。

 

 

 

かっこわる。

 

 

 

 

何とか今日1日で落ち着こうと努力したのだが、頭の中はもう『心中』『心臓』『信頼』『信用』なんて言葉でいっぱいでとても休める感じではなかった。

 

 

 

土砂降りの雨。困難ばかりが待ち受けているような状況。

 

 

 

 

ただ、それでも戦わなければいけない。

まだ見ぬ未来に向けて歩いていかなければいけない。

強い気持ちを持って臨んでいかなければならない。

 

 

気を紛らすために歩いていたら

『雨が降っても槍が降ってもやめない覚悟』って言葉がふと降ってきた。

 

 

 

 

 

 

そうなんだよ。好きなんだよ。

 

 

 

 

 

『できる』『できない』じゃなくて1番大事なのは『好き』って気持ち。

(できるできないじゃなくて無理にやらなくていいよなんて甘い言葉に今は甘えてられない)

 

 

 

足が進みたがってるのは好きな証拠。

足が竦んでるのも好きだから故。

 

 

 

飽き性な自分がここまで好きなのは異常だ。

誰も心配してくれないのは私を信頼してくれているからだ。(ちょっとは心配してほしい)

 

 

 

 

 

やめない。まだ絶対やめない。

 

 

 

 

「ダメでも帰る場所があるよ」なんて言葉で安心しない。帰らない強い意志を持って戦うんだ。

 

 

 

 

たまにちょっぴり弱音を吐いて、美味しいお肉を食べて旅行してチャージして好きな服を買って。

 

 

 

雨天決行。

 

 

 

 

 

 

今日だ、反撃の合図を。

 

半分

エロ。

色気が溢れ出てる。

 

 

 

最近1年半ぶりに実家に帰った。

目的は色々あったのだが、1番話したかったことを勇気を出して話すことができた。なんとか第一段階はクリアした。

私の決断をすごく尊重して聞いてくれているのだと感じた。私の両親は物静かであまり感情を表に出さないタイプの人たちで静かにその話を聞いてくれた。

反応がなかったので、正直不安ではあったが喜んでくれているとも感じた。

 

そして何より私が思っている以上に親は私のことをわかっているのだと恥ずかしくなった。

 

「その決断は後悔しない?」と言われた。

「正直不安もある。私も人間なので失敗したり決断を誤ったりすることはある。だから後悔しないとは言い切れない。」と。

 

反応は「ふーん」だけだった。

 

でもその「ふーん」にはすごく愛があった。

 

なんというか、そこで「じゃあ辞めなさい」と言われたら私は両親のことを信頼できなかったと思う。「ふーん」には色んな感情がこもっていて両親なりに私を後押ししてくれ、失敗してもいいんじゃない?というような深い意味があった気がする。

 

入院保険は入ってる?」「生命保険は?」とすごくまわりくどい優しさもくれた。

 

 

やはり両親はいつまで経っても超えられない存在だと思った。

 

「あなたはもう若くないんだから、私たちにそんな野暮な相談なんてしないでとっとと飛び越えちゃいなさい」

 

とまで言われた。想像を上回る反応だった。

私が思ってた以上に私のことを考えてくれているのだと涙が出そうになった。(実際はニヤニヤしていた)

さすがに飛び越える勇気も度胸も余裕もないので、まずは10ヶ月頑張ってみようと思う。

 

 

 

次に顔を出すのは6月。少し緊張するがしばらく仕事で忙しくなるので忘れようと思う。

 

 

 

 

そして、東京に帰ってきて人に私の『夢』の話をした。この私の『夢』は1人では叶えられないことだ。誰かの助けがなければ成し遂げられない。

あてがあったのでその相談をした時、

「ごめん、もうその夢は叶えてあげられない。少し遅かった。」と言われた。

 

 

 

納得。私も納得がいく。さすがにもう無理だと思っていた。いくらお金を積んだとしても頭を下げたとしても叶えられないのだ。5年くらい前だったらいけたのに。

 

 

 

「まあそうだよね、ですよね」と諦めた返事をしていた。

 

 

 

 

その翌日であった。

 

「その件なら私を頼って!頼んでみる!4人は無理だけど1人ならいけるかも!」と言ってくれる友人がいた。

 

 

女神。案外簡単にその夢が叶えられそうな状況へと一変した。なんというか、今年は何もかもがうまくいきすぎていて怖い。このあと地獄に落ちたら死んだりしないだろうか。そしてこの夢が叶った時に失神したりしないだろうか。

仕事やら人間関係やら何やら今まで積んできたことの集大成のような年になっているので、本当に怖い。伏線を回収している感がすごい。

 

 

 

 

 

この2つの出来事があったおかげで私は自分が思ってた以上に周囲に愛してもらっているのだと感じた。

 

たくさんの人に愛されなくていい。

家族、少ない友人、身近な人。10人もいないかもしれない。でもそれでも幸せだと思った。

 

 

 

仕事以外のことはもうあんまり頑張りたくない。楽をして生きていきたい。苦労は買ってでもするものだなんて言わないでほしい。ようやく安定した30代に突入しているのだから少し休みたい。人生に疲れてしまった。(ちょっと大げさ)

 

あまり目立たずひっそりと生きていきたい。

たまに旅行に行ったりなんかして。仕事で頑張る分、仕事以外の人生は休んでいたい。

 

 

でもちょっぴり今までの分、周りに恩返ししていく30代にしたいとも思っている。今年は両親を姫路城に連れて行ってあげたい。きっついことばっかり言いたい放題している周囲に優しくしたい。頼って尊敬してくれる部下に出来る限りのことをしてあげたい。私を今まで支えてきてくれた人たちに恩返しをしたい。

少しずつ、無理のないように。

 

 

 

今年は人生の節目を2度迎えることになる。

そこで一旦リセットしてまた新たなゆっくりな人生をスタートさせたい。

 

 

わたしのSE(絶対言い方間違えてる)はLOCAL SOUND STYLEかな。先輩のSEがsumikaでものすごく幸せそうだった。

 

 

 

 

そういえば、今日すごく公的な場所でナンパされた。とっても真面目な仕事の講習を受けに行き、1人でもくもくとお弁当を食べてたら2人組の若い男子が話しかけてきた。すごい度胸だと感心してしまった。おばさんこういうの久しぶりすぎてそしてその子たちが可愛くてにやにや話してしまったよ。一緒に一服しに行って色々話をして「こうこうこういう事情だから今はそういうのはちょっといいんだ、わたしは意外と一途なのよ」と頑張れ若者みたいな態度でえっへんしてしまった。偉そうにすまない。ただとっても楽しく話ができて体調悪いのも少しだけマシになった。お姉さんかっこいいですみたいな流れになってしまった。ふざけて申し訳ない。

 

 

そしてこの話を前述の女の子の友達に話して『予感のする方へ〜楽しい予感のする方へ〜』

って言ったら

「◯◯さん、絶対ダメ。楽しい予感のする方は今は絶対ダメ。落ち着こう。」って笑いながらも真面目に怒られてしまったよ。冗談が通じなかった。

 

 

なんかまあ、いつも通り真面目に書こうと思いつつ、へらへら書いてしまった。

3時間睡眠での講習は本当にきつかった。

明日もまた長時間座学を受けなければならない。今日は堂々と1番前の席で寝てしまったので、明日も堂々と寝たい。

 

 

予感のする方へ

東京タラレバ娘

ちょうど3年前「このドラマ本当に現在のうちらみたいだから絶対観たほうがいい!!」と言われたが、私はドラマに興味がなく、ずっと放置していたのだが、最近ふとサブスクで一覧を見ていたら出てきたので暇な時間に全話観た。

 

 

30歳女の『タラレバ』が詰まってるんだけど、ものすごく良かった。

 

 

女同士で「ああなったら」「こうなったら」

と酒飲みながら不毛な話ばかりして盛り上がる。『都合のいい女』『不倫する女』『好きでもないけど妥協して付き合う』『仕事上手くいかないなら男に逃げればいい』『やっぱり仕事頑張りたい』『女の幸せとは』『フィーリングで付き合ってみたけど居心地悪いからすぐ別れる』『やっぱり普通の男がいい』『元彼を忘れられないから今カノがいても2番目でもいいから一緒にいたい』『一晩限りの関係からの進め方がわからない』やら。とてもリアル過ぎたので、きっと当時の私が観ていたら共感し過ぎてヘドバン並みに頷きすぎて首の骨が折れていただろう。

 

結末は今私が感じていることとほぼ同じ結末だったこともとてもよかった。

『自分の幸せは自分で決める。誰かに幸せにしてもらうのではない。結婚したから幸せではない、彼氏がいるから幸せでもない。』

 

 

思わずこのドラマを3年前に勧めてくれた子に電話してしまった。

 

私とこの子は今33歳と34歳。共に仕事で同じ立場でキャリアを重ねて第一線で奮闘している。毎月のようにガヤガヤしてる大衆居酒屋に行き、たまに奮発して美味しいご飯を食べに行く。今は住まいが少し遠くなってしまったり、お互い仕事の休みが取りづらくなってしまったので以前のように頻繁には会えないが昔はよく泊まりに行って朝まで話したり、旅行などもした。

今はもうそんな話しないが、20代半ばには

「なんであの子はあんまり可愛くないのに結婚できたのか」とか

「あの結婚は妥協だね」とか

自分を振った男に対して「あいつは絶対歳重ねても一生独身で40歳くらいになって寂しいって気付いてもキャバにも風俗にも行く勇気がないから金で女を買う未来が見える」とか、

それはもう酷い会話をしていた。

そう、私たちはプライドと理想ばかり高く、とっても性格ブスの女どもだった。少しモテてチヤホヤされるからといってすぐに調子に乗っていたとっても嫌な女どもだった。所謂クソ女どもだった。

ドラマの中のセリフを借りるなら『いつも試合には参加しないでみんなが頑張って戦ってるのをベンチの中から見物して偉そうなことばっかり言ってただけ。そのくせ、チャンスがあればいつでも行けるって自信満々で一番おいしい場面で、ホームランを打てるって信じてた。』

 

 

彼女は誰もが振り返るような美人で男には困ってなさそうに見えるのだがもう10年近く彼氏がいない。合コンへ顔を出してみたり、婚活してみたり、好きでもない人と付き合ってみたりしていたのだが、全然幸せそうではなかった。理想とプライドが邪魔をしていた。

そして30歳になる頃、『私は一生独身でいい。やっぱり一生ヲタ活していたい。それが私の幸せだ。ヲタ活をする為の費用を稼ぐためにキャリアアップする』と宣言した。その時の彼女は彼氏ができた時よりもよっぽど輝いて見えた。そして34歳になった今、とても幸せそうにキャリアを重ね、休日にはヲタ活に精を出している。

 

20代前半の頃は『結婚したい』『私のこと愛してくれる人に早く出会って幸せにしてほしい』とずっと酒飲みながら話していた子がこんなにも変わるなんて私も思ってもいなかった。

 

一方の私も今自分の幸せが何かを聞かれたらすぐに答えることができる。私もちょうど28歳の時にこのままではダメだと気づいた。

幼い頃から植え付けられてきたステレオタイプがあり、その通りに人生が進んでいなければ不幸だとか思っていた。そして自分の周りはそのステレオタイプ通りの幸せを手にしていることに焦りと嫉妬と憧れがあった。

 

 

電話口で彼女は「うちら今めっちゃ幸せだよね〜」と言っていた。昔の口癖は「幸せになりたいよね〜」だったのに。

仕事で必要としてもらえたり、認められたり、休日には好きなことをできたり、好きな音楽の新譜を楽しみにしたり、ライブの予定を入れたり、美味しいものが食べれたり、BiSHを踊ってみたり、好きな時に好きなところに行けたり、相手が自分のことどうとか気にせず自分が心から好きだと思える人と一緒にいれたり。

 

 

 

私は今年社運をかけた重大なプロジェクトの指揮をとることになった。そのため職場が変わるので、喜ばれると思って(立場上嫌われやすい役職なので)直属の部下に異動の話をしたところ全員大泣きして別れを悲しみがりながら、それでもおめでとうございますと祝福してくれた。「もっと一緒に働いて勉強したかった」「私みたいな人になりたい」と言ってくれた。そういう部下と出会えたことを心から幸せだと思える。

 

 

『仕事がうまくいっても意味がない。そうじゃなくって私は男と幸せになりたい』と言い張っていた20代の私よ、男以外のことでもこんなに幸せになっているから大丈夫だ、安心しろ。と教えてあげたい。

休日に1人でおっちゃんばかりの定食屋さんで黙々とご飯食べたり、1人で笑って唸りながら美味しい餃子を食べたり、地味な喫茶店でコーヒー飲んだり、好きな動画観てケラケラ笑ったり、根暗なので地味な趣味に没頭していても独身だろうと何だろうと何にも恥ずかしいことなんてないんだよって。

 

 

 

過去の全てが伏線だったからこそ、今の幸せがあるのは間違いない。大丈夫、間違ってはない。上手くいかない夢も憧れも恋も愛も儚い全ても大切だよね。大丈夫だよ、間違ってはいない、自分を信じて欲しい。と言いたい。

 

 

もうタラレバなんて言わないだろう。とても面白いドラマだった。

 

 

(余談なのだが、私男の人や女の人の趣味が最近変わってきたことにこのドラマ見て気付いた。昔は坂口健太郎なんて全くなんとも思わなかったのだが、めちゃくちゃかっこよすぎてキャッキャしてしまった。そしてこちらはドラマには出てこないが最近ファーストサマーウイカがくっそ可愛すぎて画像検索ばかりしている。)

運命なんて言わないで欲しい

「なるべくして」とか「順当」だとか、「そういう運命だった」とか。そんな簡単な言葉で片付けられたくない。

 

 

運命?違うでしょ。努力と汗と涙だよ。

今 が間違いなく最先端で

後 に伏線だったと気づく。

 

 

気持ちの乗っていない言葉で傷つけれることほど悲しいことはない。ものすごい凶器になる。所詮自分のことはどうでもいいのだろうと思った。

 

 

 

 

とってももやもやした。悲しくて眠れなかった。

 

 

 

 

「無理だ」とか「今更」とか「もう遅い」とかなぜ他人から言われなきゃいけない?転んだことがないからそんなことが言えるのだろう。痛みも何もわからないのだろう。さぞかし恵まれて幸せに生きてきたのだろう。挫折したことなんてないのだろう。適当に過ごしてきたのだろう。大事なものを失ったことがないのだろう。失ったことにすら気付いていないのだろう。何もかもに鈍感なのだろう。悪気はなかったのだろう。でも心の中では許すことができなかった。

 

 

そこで言い返さなかった自分はすごく成長したな、と感じた。(結局ここで吐いてるが)

「えっ、人の血流れてないんじゃない?大丈夫?悪魔?」という言葉が喉まで出かけた。寸前で飲み込んだ。穏やかに笑って流した。

 

 

 

私はマイナスなことの方が自分を突き動かす。ネガティブが原動力になる。そして起爆剤になる。

そんなことで悲しんでる暇はない。だから今日さっそく「無理だ」と言われたことを始めた。私は無理だとは思っていない。自分の限界は自分で決める。無理かどうかは私が決めることだ。別に今後やり遂げた時にドヤ顔で「どうだ!やってやったぜ!言ったこと後悔したでしょ?」などと言うことはない。影の努力すら知られたくもない。鼻で笑った人のために頑張るのではなく、自分自身のためだけに頑張る。

 

 

気が立って見えるかもだが、意外と冷静だしポジティブだ。

 

 

 

私も気をつけようと思った。傾聴姿勢、言葉選び。そして自分に向かって一生懸命話してくれる人に対して真摯に受け止めて感情を込めて会話をしようと思った。めんどくさかろうとなんだろうと。1:1なら尚更。人の気持ちなんて一瞬で変わる。たった一言で変わってしまう。

 

 

 

さあ、ネガティブなことはここで終了。

 

 

愛しくて、寂しくて、楽しくて、哀しくて、悔やみながら、満足感を得ながら、何かを失くしながら、大声をあげて涙を流せるような瞬間を、ずっとずっと探している。

 

「よし!肖ろう!自分も頑張ろう」と言ってくれる人もいる。

 

 

猫と一緒に穏やかに生きていく人生が今年始まろうとしている。家具探すのも楽しいし、食器選ぶのも楽しい。家電どうしようとかインテリアどんな感じに配置しようかとか。毎月焼肉の日を作っておいしい焼肉をたらふく食べるとか。おいしいもの調べて食べに行くとか、おいしいコーヒー屋さん開拓するとか、たくさん旅行するとか。これからどんどん幸せになっていく。

 

 

 

 

 

きっと楽しいんだ、人生は。結末は知らずとも。

それでも全てを運命と言いたくはない。

 

やはりサバプロはかっこいいなあ