日常。音楽多め。

夜王子と月の姫

君が星こそ悲しけれ。

 

 

原曲を聴いたのが15年前とか鳥肌が立ちそう。

時の流れは早い。チッチの方も好き。

 

疲労で寝れない夜にふと思ったことを書いておこうと思う。

 

 

今年もあと3週間。

今年は激動の1年だった。楽しいことも悲しいことも嬉しいことも辛いこともたくさんあった。またこうやって今年も歳を重ねていく。

 

私は年末のとても忙しい時期に生まれた。

生まれてしばらくしてつむじが2つあることに祖父が気づき、親戚中大騒ぎしたらしい。昔の人は迷信が好きなのだろうか、それとも私の家系が好きなのか。(ちなみにつむじが2つある人は日本人の7%しかいないらしい)

200年ぶりの女の子だったそうで、これまた大騒ぎだったそうだ。

小さな頃から大事に育ててもらい、今思い返すと完全なる箱入り娘だった。(だった、が重要)

お年玉は毎年20万近く貰っていたし、お祝い事になると数十万のお小遣いをくれるような激甘な曽祖父母、祖父母であったがそんな中、父と母はとても厳しかった。

厳格という意味ではなく、社会に出ても自立してやっていけるように母は言葉遣い、お箸の綺麗な持ち方などの礼儀作法や人付き合いの大切さを、父は自分でお金を稼ぐことの大切さを早いうちから教えてくれた。

 

 

私はとにかく落ち着きがなかった。じっとしていられない、突然家を飛び出して庭を裸足で走り回る、ご飯を食べるのに何時間もかかる。あり得ない大怪我をする。多動性、注意欠陥、衝動性。

 

そんな私に書道を習わせてくれた。あの私があのシーンとした空間で長時間正座をするなんて誰もできやしないと思っていたと思う。

母は雨の日だろうと風の日だろうとなんだろうと嫌がる私を抱えて無理矢理通わせたのだ。

それがなんと15年も続いたのだ。おかげさまで少しの時間なら落ち着いていられるようになったし、忍耐力もついた。県のコンクールで最優秀賞をとるまでに上達した。なんと言っても大人になってからどこへ行っても字を褒められる。それが未だに嬉しい。

 

つむじが2つある子のおかげで、また祖父からの助言もあり、たくさんの習い事をさせられた。「この子は天才だから何でもやらせろ。どこかで絶対に才能が開花するから。」と父母に言い続けていた。(そしてその張本人である私は才能が開花したわけでもなく現在普通の会社員)

書道(15年)、ピアノ(8年)、日本舞踊(2日)、茶道(2日)、バイオリン(1ヶ月)、

スイミング(2年)、英会話(3年)、オペラ(半年)。きっとまだまだあった気がする。

 

書道と美術、音楽だけは小学生から高校生に至るまでオール5だった。私に芸術分野においては自信をつけさせてくれた。

 

 

一方、父は高校生になった瞬間に「勉強はできなくていいししなくてもいいから、アルバイトはした方がいい」と言い放ったのだ。「最低限のお小遣いは渡すけど、足りない分は祖父母から貰うんじゃなく自分で稼げ。稼ぐことがどれだけ大変なのか高校生のうちに知っておけ」スタンスだった。高校1年生の夏休みから父の知り合いが店長をやっているファーストフード店を父から紹介されて働かせてもらうことになった。

 

当時最低時給の680円。確かこのくらいだったと思う。学校帰りの平日は4時間、土日は7時間ほど。週3回バイトをした。髪を染めようとスカートを短くしようと彼氏とイチャイチャしようと怒らなかった父も、バイトをズル休みすることだけは許してくれなかった。

寡黙で無表情な父なので直接そう言われたわけではないが、背中からそれが滲み出ていて怖くてズル休みなどできなかった。

結局私は高校3年間、卒業するまでずっとアルバイトをしていた。休んだこともなかった。自分で入れたシフトは責任を持って絶対に休むことなく行っていた。そしてアルバイトしながらセンター試験も大学受験もしたのだ。謎な高校生だ。

 

高校生のうちから働いたことによって、高校では接することのない人との接点が生まれた。先輩である大学生、フリーター、お客様であるサラリーマンやOLさん、そして子供やおじいちゃんおばあちゃん、様々な不自由を抱える人たち、そしてのちに生活指導の先生まで来店された。(幸いなことにその時は目を瞑ってくれた)

 

この時の経験は自分の糧になっているし、自分を作ってくれたと思っている。

高校3年の10月までは就職する予定だったのに大学生の話を聞いたら突然大学に行きたくなり、疲れたサラリーマンやOLさんを見るたびこんなふうになりたくないな…と思ったり、逆にこんなOLさんになりたいと思ったり。子供と遊ぶと将来子供が欲しいと思ったり、仲のいいおじいちゃんおばあちゃんがくるとこんな夫婦になりたいと思ったし、筆談で接客することが恥ずかしくなり手話の勉強を始めたり、夏休みに突然近所にある福祉施設に押しかけてお手伝いさせてくれと言い、受け入れてもらって不定期にボランティア活動をしてみたり。

 

とにかく勉強以外のたくさんのことを学べた。父のおかげだと思っている。きっとお金を稼ぐことの大変さを知ってもらいたかったということと、早いうちから社会に揉まれて現実を知れということだったと勝手に解釈している。(のちに聞いたところ、高校卒業したら就職に進むと思ってたから早めに働いた方がいいと思ったからと言っていたが、おそらくこれは建前だ)

 

 

こんな両親の元での18年間の下積みがあったから今がある。社会生活の中で役立つことがとても多い。書道を15年もやっていなかったら今の仕事を10年も続けていられなかっただろうし、高校生でアルバイトしていなかったら東京で一人暮らしも難しかっただろうし、今の仕事である接客業を選んでいなかったと思う。

 

 

 

ひとつだけ心残りなのは、『つむじが2つあると天才説』を証明できなかったことだ。

ただ、私は将来飴細工職人になりたいと密かに夢見ているのでそこで開花すると信じておこう。

 

 

 

 

 

去年あたりまでは『自分の』誕生日が楽しみで仕方なかった。人からお祝いしてもらえ、主役になれる日だからだ。

しかし今年はなぜか全然楽しみではない。また1つ歳をとるのか、くらいにしか感じない。しかしLOVELESSのワンピースと六歌仙は楽しみだ。(結果楽しみなのか、というツッコミは入れていただいても構わない)

今年はこんな私に育ててくれた両親に感謝の気持ちを込めてプレゼントする日にしようと思う。突然すぎて気持ち悪がられそうだ。

 

おてんば過ぎて目を離せない天邪鬼じゃじゃ馬娘が、今となっては立派ではないが人の上に立つ仕事に就けている。そしてそのお金で美味しいものが食べれたり、欲しいものを買えている。

 

 

晴れやかな気持ちで寝れそうだ。

ありがとう。