2020年
年末に振り返りができるように今年やりたいことを書いておきたい。
仕事
・プロデュース力をつける
・知識と技術力をブラッシュアップさせる
・課題解決力の更なる向上
・働きすぎない
・新しいことにも物怖じせず挑戦する
・コミュニケーション能力をアップさせる
プロデュース力と書くとなんだか偉そうな仕事してるみたいになってしまうのであれだけど、ゴールをしっかりと設定して、それに向けて短期的視点と長期的視点を持って優先順位を立てて取り組んでいきたい。ゴール設定に関しては年末にできたので、達成させるためにかなり細かく分析して進めていきたい。小さい規模でのマーケティングをきっちりやっていきたい。
私は専門職のアドバイザーをしている。全てのお客様に刺さるような方法ではなく、ターゲットを絞って現状や外部状況を踏まえてコツコツとプロデュースしていきたい。今年はなんだかできる気しかしていない。(元旦の夜、寝る寸前にアイディアが浮かんで気がついたら電気つけて一生懸命文字に起こしてたのは我ながらにひいた)
そして自分自身の知識や技術に関しては2019年にとても自信を持つことができたので、それを土台に更に1つ上を目指していきたい。そのために、計画を立て毎日コツコツ勉強すること、やりっぱなしではなく、振り返りを行うことを徹底したい。勉強自体は元々好きなので、苦ではない。
そして早速やってしまったけど、働きすぎないようにしたい。プライベートな時間に仕事のことを考えないようにしたい。(どの口が言っているのか)ただ、プライベートの時間に遭遇することが意外と仕事に活かせたりもする。そういうことは忘れないようにメモしておきたい。
そして昨年意外な強みを見つけた。数字から読み取り、仮説を立てて計画を立てる、実行して振り返る、結果からまた分析をして修正してゴールに向かってブレていないか常に進捗を確認→結果を残す。みたいなことがものすごく得意だということに上司が気づかせてくれた。
元々、内部統制の財務報告の信憑性の部分を専門にして7年ほど勉強してきたのだが何故か美容の仕事をしている。全く活かす場面がなかったのだが、昨年から似たようなものを今後やっていく、となったときに一気に生き生きとしだしたのが自分でもわかった。今年はせっかく過去にたくさん勉強したので、それを今の仕事に活かして使っていきたい。そして密かにUSCPAに合格できたらなんて思っている。(甘い)
今年は仕事が飛躍の年になる気がしてならない。根拠はない。
プライベート
・もう少しアクティブに動く
・誘われたら極力断らない
・ライブに行く
・喫茶店開拓
・旅行を4回はする
・海外に行く
・人付き合い下手を少し改善させる
・友達をつくる
・人に甘えることを覚える
・オリンピックまでに引っ越す
・猫を飼う
・髪を伸ばす
・秘密をたくさんつくる
プライベートに関しては今年は具体的な目標などはない。とにかく勉強欲が高まっているので、たくさん勉強したいと思っている。そして去年は全然箱ライブに行けなかったので、今年は行きたい。フェスも行きたい。
趣味としては大好きなコーヒーをたくさん飲みに行きたい。レトロな純喫茶の開拓をしていきたい。あと、できればお城まわりもしてみたい。いろんな城を見にいきたい。
そして野球。今年こそは福岡に行きたいと考えている。昨年は行く行く詐欺をした。今年は開幕直後に1回行けたらいいなと思っている。
人付き合いに関しては、好きな人だけと深く付き合いたいと思っている。無駄な体力を使わないように省エネモードながらも近しい人にはフルに尽くしたいと思っている。そして友達を作りたいと思う。気軽に遊びに行けるような友達ができたら嬉しい。そのためにもいろんな出会いの場所へたくさん出歩きたいと思う。私は人付き合いが苦手なので、いい具合に自分が疲れない程度にやっていきたい。そして甘え下手なのは元々なので仕方ないが、もう少し周りを信用しようと思う。頼らなすぎてしまっている部分もあるのでぺろぺろしたいときは素直にぺろぺろしようと思う。
引越しは仕事柄時期を決めるのが難しいのだが、とにかく猫を飼いたいので引っ越したい。
髪に関しては1年半ショートにしていてそろそろボブくらいにまた戻そうかと思っている。が、きっと伸ばしてる最中に我慢できずに切ってしまう未来が見える。できたら伸ばしたい。
そして秘密をたくさんつくる。
健康
・痩せる
・病気を治す
・よく寝てよく食べる
・よく笑いよく泣く
最後の2つだけ見ると赤ちゃんみたいだ。
継続的にダイエットしているのだが、去年は減ったり増えたりを繰り返して現状維持になってしまった。今年はさらに5キロくらいは落としたいと思っている。そして何より病気を治したい。治さなくとも現状維持をしたい。体が資本なので、無理はしない。元々ショートスリーパー寄りなのだが、最近やっとよく寝れるようになってきた。毎日7時間以上は寝たい。よく食べるのはいつもだが、食べるものをしっかり選びたいと思う。そしてたくさん笑ってたくさん泣きたい。
今年は本当に根拠はないけどいい年になる気しかしない。すごくいい状態だ。この1年でやることが今後を左右する気がしてならない。飛躍の年にしたい。とてつもなく輝ける気がする。何度も言うが根拠はない。
ただ、去年1年がすごく自信と武器になっていることは間違いない。絶対にいい年にする。
初詣に行った神田明神でこんなおみくじをひいた。
モテモテだそう。嬉しい。
余談なのだが、最近完全ワイヤレスイヤホンを手に入れた。これがとてつもなく良い。もっと早くから使っていたかった。購入に至った経緯と購入の際に繰り広げられたコントみたいなやりとりが面白すぎた。都心の大きな家電量販店で大きな声で「自分で買ううううううううう!自分で買うからいいのおおおおおおお!嫌だ自分で買うのおおおおおおお」
と子供のように喚き散らかした33歳。店員さんも笑っていた。自分でも笑ってしまった。
音もいいし、便利だしランニングに最適だ。
次はバランスドアーマチュア型のワイヤレスを購入しようと思う。
あなた
あなたは今何をしていますか?
誰かと笑えていますか?
誰かと泣いていますか?
あなたはとても顔立ちが美しく、どこへ行っても可愛がられていました。いつも笑顔で人懐っこく、誰からも好かれていました。なのできっと今頃は誰もが羨むイケメンになっているのでしょう。頭も良く、とても賢かったので、大学を出ていいお仕事をして、美人の奥さんを捕まえて幸せに暮らしているのでしょう。31歳、とても充実した生活なのでしょう。
私はなんとか頑張っています。今は生まれ育った街を出て、東京で生活しています。
仕事にも恵まれ、周囲にも恵まれ、幸せに過ごしています。
幸いなことに、大きな病気もせず、あの頃と変わらずにこにこ笑えています。
でも、少し体調を崩したり気が弱るとあなたのことを思い出してほんの少し寂しくなる時があります。涙を流してしまうことがあります。
今日はそんな日でした。
多くの人に愛され、少し嫉妬していた時期もありました。
いつも満遍の笑みを私に見せてくれていました。
どの血を引き継いだのか、女好きでいつも人のスカートをめくっていました。わかりやすいほど若いお姉さんが大好きでしたね。
若くて綺麗な看護師さんが来ると機嫌がよく、婦長さんがくるとそっぽ向いていました。
時には喧嘩もしたね。取っ組み合いになって、ひっかきあってました。私の顔にはまだあなたが引っ掻いた傷が残っています。大人になって、化粧をするために鏡を見るたび、毎日思い出します。
たくさん旅行もしました。たくさん写真を撮りました。たくさんビデオにも残っています。あなたと一緒に過ごせて本当に幸せでした。
ある日突然話せなくなって、遊べなくなって、すごく寂しかったのを覚えています。
あんなに元気に走り回って一緒に遊んでいたのに、突然駅前のアピタの前で転んでそれから遊べなくなってしまいました。
毎日顔を合わせていたのに、突然1週間に1回しか会えなくなってしまいました。
そんな日常が当たり前になりました。
そして色んな出来事があり、あなたは笑うことも喋ることすらしなくなりました。話しかけても反応してくれなくなりました。
いつも通り、日曜日みんなで会いに行きました。何も反応しないあなたに一生懸命話しました。ちいさな手を握って。私はその頃から強がりで、絶対にあなたの前では泣きませんでした。あなたと別れたあと、1人でこっそり泣いていました。かっこわるかったね。情けないね。
そして、月曜日。あなたは突然いなくなりました。
それから何日間泣いたでしょうか。毎日悲しみに暮れていました。
「あんまり泣いていると天国から笑われるよ」
と、言われるほど泣いていました。
どれだけ想いを伝えても伝わらないのはわかっています。
だから、今私が生きているうちに伝えたい人にはしっかり伝えておきたいと思うようになりました。それはあなたから教えてもらいました。
ありがとう、ごめんね、大好きだよ、おはよう、おやすみ、また明日ね、あなたがいてよかった、頑張ろうね、辛かったね、頑張ったね、よかったね。色んな言葉をしっかり人に伝えたいと思えるようになりました。
もちろん、そんなことを言うと鼻で笑う人もいます。でも、鼻で笑われようと伝えなければならないのです。だって死んだら伝えられないから。
私は1人の人間なので、あなたの分まで倍長生きすることはできません。でも、あなたが生きれなかった人生を噛みしめながら生きています。
だから安心してください。こんな日もあるけど、でも一生懸命生きています。
一生懸命幸せを噛み締めて生きています。
たくさん食べてたくさん笑ってたくさん寝てたくさん泣いてたくさんへらへらして元気に生きています。
あなたは生きていたら今31歳。あなたと同年代の男性を見るたびに、あなたが生きていたらどうなってたんだろうと想像します。重ねて見てしまう癖は何十年経っても変わりません。
最近ではやっと微笑ましく見れるようになりました。
私がこの人生を終える日には笑っていたいと思います。そのために、今限られた時間を目一杯自分のため、自分を愛してくれる人のために生きたいと思います。
優しさ、強さをくれたのは紛れもなくあなたです。あなたがいて本当によかった。
これからもよろしくね。たまに夢に出てきて会えたら嬉しいです。
時には私のだらしなさや情けなさを叱ってください。
時には頑張ったねって褒めてください。
それではおやすみなさい。
2019年
2019年をその月によく聴いていた音楽と共に振り返る。
1月 元旦、最悪な年初めだったことしか覚えていない。それはさておき私の仕事は仕事始め、仕事納めという概念がない。なので、1/2から例年通り働き始めた。人様がお休みの時にせくせく働いていた。わりかしこの頃は仕事を舐めていた気がする。そして社内昇格試験に落ちた。落ち込んだが、まあ落ちて当然だろうなとも思った。
2月 寒かった記憶はある。この頃から仕事の雲行きが怪しくなる。
3月 今年1番の事件が起こる。仕事が大爆発したのだ。この時期は本当にしんどかった。誰からも必要とされていないんじゃないか、いいように扱われすぎてるんじゃないかと思い始め、上司や会社を信用できなくなっていた。もうこの会社を辞めようと思ったのも3月だった。ミスもしまくり、本当に迷惑しかかけれない人間なんだと完全に自信を失っていた。
4月 転職活動を開始した。10年間近く同じ会社で働いていたので外の世界を見るのがとても新鮮だった。1社しか受けていないのだが、面接の途中からやはり今の会社が1番いいのではないかと思い始め、気持ちが乗らなかった。結果、こちらからお断りする形になってしまった。私はこれから先、どうやって生きていけばいいのかを完全に見失っていた。
そんな時にまた別の仕事を紹介しようとしてくれていた知り合いに話を聞いてもらい、私は今の仕事を続けるべきだとはっきり言われた。今の会社で昇進し続ける方が賢明だと言われた。
5月 あまり覚えていないが周囲の人間関係でクッソ揉めていたのだけは覚えている。それに巻き込まれて病んでいた。とっても面倒くさかった。
6月 1月に落ちた昇進試験を再び受けた。毎年恒例の交流戦を観に行った。人間関係の揉め事は継続していた。人に無視されることがこんなに辛いのかと中学生以来の感情を思い出した。辛かったのであまりこのあたりは思い返したくない。
7月 昇進試験に合格した。今までの苦悩も全て報われた気がした。やはりもう一度今の場所で頑張ろうと改めて思った。仕事のやり方が変わったのもこの時期だった。今まで割り切れなかったことが割り切れるようになり、できることできないことをはっきりと伝えられるようになった。ただ後半はかなり泣いていた。自分を肯定することができなくなってしまった。仕事の順調はとは裏腹に人生に迷ってしまっていた。半年間の精神的な疲労でかなり病んでいた。
8月 塞ぎ込んでいた。その違和感に気づいて優しくしてくれる周囲にとても感謝した月だった。体調もすこぶる悪く、病気的なものも見つかった。そして旅をした。私の第二の故郷である水戸にも行けた。ロッキンにも行けた。サバプロに一目惚れをした。衝撃的だった。
仕事も順調に行き始めていたので今後の人生や自分の価値についてものすごく考えた時期だった。友達や家族、同僚や上司、色んな人に「私のいいところ、悪いところ」をたくさん聞いていた。きっと「なんだこいつ」と思われていただろう。ただ、ありがたいことに(というよりかは私に気を遣ってくれたのだろう)肯定してくれる言葉しか返ってこなかった。
よく自分が辛い時にそばにいてくれた人や見捨てずに見守って支えてくれた人が本当に自分のことを好きでいてくれてる人とか言うが、それを身をもって実感した1ヶ月だった。
9月 このあたりから復活し出してきた。私は私らしくいよう、ありのままでいようと思い始めた。私は人付き合いが苦手で距離の取り方がわからない。近すぎてしまったり遠すぎてしまったり、いい塩梅にならない。でもそれでもいいんだ、と思い始めた。それをひっくるめて自分だ。一生懸命瘡蓋を剥がそうとしていたことをやめた。今までは剥がしても剥がしてもまた傷になって生々しくなっていた。そこにしっかり絆創膏を貼った。もう剥がさなくていいようにしっかり貼り付けた。どんどん笑顔が増えていった。また自分に自信を持てるようになってきた。仕事も順調。メラド天王山にも行けた。とてもいい月だった。
10月 LOCAL SOUND STYLEが復活した。事件だった。ぽろぽろ泣きまくっていた。止まっていた時が動き出した。私は仕事なので人任せではあったのだが、チケット争奪戦に敗れた。私の知り合いは全滅だった。
まだ会ったことのない、今1番会いたい人と今年も会えなかった。来年こそはといってもう5年以上経っている。
日本シリーズで優勝した。
11月 オフシーズンに入ったので音楽漁りをし出す。そして心が動いた出来事があった。歌舞伎町のど真ん中のきったないラーメン屋さんでラーメン食べながら話した話が今年1番大きな収穫だった。あんまり人生頑張らなくていいんだと思った。仕事では今の自分のキャパ以上のことを託された。きっと去年までの自分だったらできなかったと思う。今年は自信を持って余裕を持ってできた。
12月 とにかく忙しかった。次から次へと仕事が降りかかってきた。家に帰ってからも毎日仕事していた気がする。とてもじゃないがサバプロ新木場やCDJどころではなかった。行っていたら死んでいたのではないか。あっという間に歳をとってしまった。世界で1番幸せなのではないかと思う誕生日だった。33歳はいい年になる気しかしていない。が、まだ仕事納めしていない。
総括
今年は働きすぎた1年だった。ヘビーなことが立て続けに起きた。そしてその度に崩れず乗り越えられた自分を本当に褒めたいと思う。(ただ、こんな働き方していたらいつか在職中に死んでしまうのではないかと思うので、来年はほどほどにしたい)
『嫌になったらすぐ仕事辞めればいい』と割り切れるようになったことが大きかった。だから思いっきりできたのだと思う。
とにかくやるべきことをがむしゃらにやった。期待されたら120%で返そうと思った。どちらかというと今年は土台を固めた1年だった。上に伸びていくのは来年できたらいいと思う。
改めて自分の仕事に自信と誇りを持てた。プロとして、目の前のお客様に対して全力で最善を尽くしていきたい。そしてそう思って働いてくれる部下を育てていくのも仕事だ。マネジメント面でももっともっと技術を磨いていきたい。
そしてたくさん勉強した。仕事に必要な勉強は毎日ちゃんと時間をとれた。部下から聞かれることも増えた。うやむやにしていた会計学の勉強も再開した。
健康面では大きな変化があった。将来的に子供は欲しいと思っているので、何とか完治させたい。こちらは心配なので、継続して通院していく。
プライベート的なところは野球にたくさん行けたことが嬉しかった。来年はリーグ優勝して欲しい。ただライブになかなか行けなかったことだけが残念だった。旅行に行けたことは嬉しかった。来年はもっとたくさん行きたい。
誰かのために生きていくのはもう辞めると決意した1年でもあった。自己犠牲し続けてきたことに疲れた。自分の為に、自分の幸せの為に生きていく。その先で誰かが幸せになってくれたら、くらいの心持ちで生きていきたい。まずは自分を愛してあげたい。自分のこと、自分の好きな人を諦めない。(柳さんありがとう)
そして今年音楽はBANANA FISH勢が強かったですね。誰が選定してるんでしょう。強かった。そして安定のHONDA。あそこの販促絶対に音楽好きな人が自分の趣味だけで選んでる。そしてそれが強い。予言者的な感じ。ガチな音楽好きが『次このバンドくるな』って思ってるようなバンドを選んでその後爆発するのがここ何年も続いてるからすごい。
ただ、私は先回りできているのでそこは自分を褒めたい(にっこり
終わり良ければ全てよし。3年続いた厄年もようやく終わったので、法多山にお札を返しに行く。来年のことはまた書きたい。耐え抜いた1年だった。お疲れ様でした。(明日も仕事)
そして最後に…
今年1番聴いた曲がこれだそう。(自覚はあまりなかったがiPhoneが教えてくれた)
すごく好きな曲。ぜひMVを見て欲しい。
本物
私はこの1ヶ月、ある大好きな人の2008年からのブログを全て読む作業をしている。
その人のブログを読んでいて気づいたのだが、私は苦悩や葛藤を抱えている時に産み出される言葉やものにグッとくることに気付いた。
側から見たらあまりいいことではないのかもしれない。決して苦しんでいる人を見るのが好きなわけではない、ということを大前提にありのまま書こうと思う。
具体的に書いてしまうと誰とわかってしまうので避けるが、15年ほど前から今に至るまで天国と地獄を見てきた人だ。
順風満帆な日々を過ごして、夢が叶い第一線で活躍していた。2008年がその頃だった。その時のブログに書き綴っていたのは日々忙しくしていてふと思いついたことや前向きな言葉ばかり。楽しかったことや飲み会の話、楽しそうな写真ばかり載せていた。文面からはその人の核の部分なども読み取ることはできず、本当にポジティブでいわゆる『リア充』な人間なのだと誰もがわかるような感じだった。
毎日のように更新されているのだが、Twitter感覚で書き綴っており、文字数も少ない。「楽しかった」や「楽しみ」などで締めくくられいる。
その後徐々にネガティブな言葉や将来への不安が垣間見えるような文章になってきた。
このあたりから雲行きは怪しくなり、ブログの更新もまちまちになってきた。
そして積み上げてきたもの全てが一気に壊れたのもこの時期であった。悪い大人に騙され、誰からも相手にされないように仕向けられ、思うように上手くいかない。誰も信用できなければ笑うことさえできていなかったと思う。
この時のブログで書いている言葉が本当に突き刺さるようなものばかりだ。
迷い、焦り、苛立ち、苦悩。その中でも自分のプライドを守るために精一杯努力をして生きている。それが伝わるような文章ばかりになっている。すごくジメジメしているし、ネガティブなのだが、人間らしい。ありのままの言葉で嘘偽りなく恥じらいもなく自分の気持ちを書いている。プライドも傷つけられ、プライドなんて持たない方がまし。そんな風に捉えられる言葉もちらほら見受けられた。
そしてその後、1人の人間と出会い、再出発を果たした頃のブログは読んでいるだけで心のひだを撫でられぐちゃぐちゃにされるようなとても強く、そして優しい文章になっていった。涙無しでは読めなかった。
それを乗り越え、しかしその後も死にかける。ICUに入るほどの重病を経験する。そして1人ではないことに気づき、周りへの感謝や以前とは違った前向きな言葉ばかり並んでいる。とても重く、読んでいる側が考えさせられるようなものだ。今現在もそんな感謝やそんな15年で生まれた新たな感情を綴っている。そしてまた楽しいことばかり綴りだしている。
私はこの人が過去に何があったのか、この人がどの時期に何を生み出してきたのかを知っている。それが本当にシンクロしている。
例えてみたら上手くいっている時はそこそこ仕事に慣れて楽しいことばかりの人生。でもその仕事がなくなり誰も助けてくれずもがき続けている時に自分で仕事を始め、そこでも騙され根こそぎお金を持っていかれ、借金まみれ。その後にふと出会った人と一緒に仕事を始めたところ大成功。みたいな感じだろうか。
振り返ってみたら1人もがいて仕事をしていた時の仕事がものすごくいい仕事をしていたからこそ今がある、ということだ。
言葉は難しいが、コンテンツとして私はそのもがいていた時期に生み出したものが大好きなのだ。
苦しんで、プライドを傷つけられ、すべてを否定され、誰に相手されずともそれでも自分を信じ続けて自分のやるべきことをし続ける。吐き続ける言葉は『本物』だった。だからこそ見ているこちら側に刺さるのだろう。嘘偽りもなく、とても人間らしいのだ。
挫折があって、悩みがあって、何度も転び続けて、後ろ指を刺されて、さようならがあって、抱きしめ合って、笑い合って。そして今は自分の幸せは自分だけのものではなく、あなたが嬉しいことが自分の幸せだとまで言えている。
この人は絶対に人を否定しない。これだけ周りに振り回された15年だろうと、その人たちに中指を立て続けたことを今の振り返りの際に語らない。それを乗り越えた上で伝えたい大切なことを伝え続けてくれる。
人間もその人間が生み出したものも全て本当に生物なんだと感じさせてくれるブログだった。
そんな人の人生に触れた時、私の心は何とも言えないほど大きく動く。大きく動き、大粒の涙が溢れる。すごく感化されるし、自分の価値観に埋め込まれていく。
私はこの人に初めて出会った時は、再出発の時期だった。「あ、この人ものすごいものを持ってるし経験してきてるんだろうな」ということがすぐに伝わった。衝撃的な出会いだった。鋭い目をしているのにものすごく優しい。そして明るく振る舞うのだ。
本当は挫折なんて知らない方がいい。でも転んでみて痛みを知る。それが運命と一言で片付けられない。
この1ヶ月、その人の11年分のブログを読んでさらに好きになった。私もきっとこれから先たくさんの挫折や苦悩を経験する。そんな時にこのことを思い出したい。しっかり胸に刻んでおきたい。
風邪
普段風邪などひかないのに珍しく風邪をひいてしまって朝から寝込んでいる。今日は高円寺に行く休日の予定だった。行きたかった。
風邪ってこんなに辛いのか。と、人の気持ちがわかる。私が風邪を引くのは数年ぶりだ。悪寒も酷ければ体の節々が痛い。暖房をつけているのに震えが止まらない。
昨晩遅くまでペロペロしてたのが悪い。
「寿司寿司〜」と騒ぎながら、別れが惜しくて『あともう一杯』を何回も繰り返してしまった。
そう、いつの時も別れの時間は惜しいのだ。
もう会えないわけでもなければ、いなくなるわけではない。そうわかっていても、数年一緒にいたら別れは惜しいのだ。泣かないと決めていたのに思い出話をしている時少しだけホロッときてしまった。
普段からたくさん話してきたはずなのだが、数時間では話し足りなかった。伝えたい言葉や気持ちがありすぎて上手く伝えられたのか。本当に心からこれからの活躍や幸せを祈っている。正直いい思い出はあまりなかった。でもこうやって別れられるのはいいことだろう。
最後に「女性だけの体力も精神力も酷使するかなり過酷な環境で勤続10年、さらに最高峰まで昇り詰めたこと本当に尊敬してる。自分もそうなりたい。」と言われてびっくりした。尊敬されていないと思っていた。
『何かこれから先困ったことや悩んだことがあればすぐに連絡してほしい、すっ飛んでいくから、ご飯でも飲みにでも行こう』
こう伝えると涙を流してくれた。今までのもやもやが吹っ飛んだ。いつまでも力になりたいと思うし、助けたいと思っている。それが伝わったならよかったと思う。
その代償がこの風邪なら構わない。
けど、朝からずっとポロポロ涙が止まらない。完全に気が弱ってしまっている。
何があったわけでもないのに、1人残されたような孤独がある。かなりセンチメンタルな気持ちになっている。
普段気を張っているし、笑っていなければいけないし、甘えられない環境にいる分、体調を崩した時の反動は計り知れない。
『誰か、誰か』ってなる。グズグズしてる気持ちをここに吐き出すことしかできない。
所詮人間は無力だ。1人では何もできない。
そう痛感している。歩くことも外に出ることも今はできない。このまま飢え死にするのではないかとすら思ってしまう。そしてそれでも別にいいやとか思ってしまう。
風邪ひくとみんなこんな気持ちになるのかな?と俯瞰的に見ている自分もいる。色々ごちゃごちゃしている。
こんな時に温かいお味噌汁を作ってくれる奥さんがいたら…とか看病してくれる人がいたら…とか変な妄想をしている。
ブログを書き始めてからもう6時間かかっている。全然頭が働かない。電気すらつけていない。悲しい、寂しい、そんな感情しか湧いてこないのは久しぶりだ。
風邪の威力はすごい。
風邪なんてもう一生ひきたくない。本当に体には気をつけようと思った。早く元気になりたい。元気になって美味しいものたくさん食べてへらへら笑いたい。
終わりは終わりでそういう世界だ
うやむやにしてきた今日に幾つの後悔を置いてきて、
うやむやにしてきた昨日に今日後悔を抱くと、
明日言おうと思ってた言葉が明日言えなくなる。
今日なら言えたのに明日言えなくなってる。
明日言おうと思ってたありがとうが、
明日言おうと思ってた愛してるがなぜ言えなくなるのか。
それは今日言わないから。
些細なタイミングで伝えたいと思ってる相手はいなくなる。
些細なタイミングで好きだと思ってる人がいなくなる。
些細なタイミングで大事だとだと思ってる人がいなくなる。
いなくなってからの後悔は本当につまらない。
この言葉は一生忘れることはない。
日々生活を送っていてどこかで潜在的に周りの人に対してこう思っているのだろう。
こう思っていたとしても、『あの時ああ言えばよかったな』とか、『ああしてればよかったな』とか後悔や反省はする。
言葉にしても伝わらないこともある。
思ってること全部伝えるなんて不可能に近い。
だから『言えって』となるのだろう。『大事なんだって今すぐ言えって』と。
『当たり前』にも終わりがくる。
終わりは突然くる。
毎日精一杯生きていても後悔するのに、なくしてからの後悔なんて計り知れない。綺麗事なんて恥ずかしかろうと大きな声で言えばいい。言わないよりよっぽどいい。
私はこれからも大きな声で綺麗事を言い続けると思う。
誰に理解されなくてもいい。
私は私でしかないし、あなたもあなたでしかない。すれ違いなんてたくさんある。違いもたくさんある。そのすれ違いが、そのズレが、もっともっとって愛おしく思う。そんな日々を過ごしているうちにそんな感情すらも生活が全てを飲み込んでいく。
なくして失って気付いて愛おしく思ってまたなくして。
あと何回これを繰り返していけばいいのだろう。それが人生だと一言で片付けてしまえば簡単だ。
こう思って、やっぱり思わなくなって、トラウマになるような傷つく出来事だってあった。
もう一生人を信用しない、大切にしない、仲良くならない、好きにならない。そんなことだってある。そしてまた元に戻ったりまた思わなくなったり。不思議だ。
自分だけそう思っていても辛いのならやめてしまったほうが楽だ。傷つかないから。
落ち込むくらいなら期待しない、傷つくくらいなら信じない。そう思っていたはずなのに、明日になればまた変わって。
そんな儚い世界だから少しのことで、『ありがとう』とか『大丈夫だよ』とか周りの人に伝えたい。
嬉しいことがあったときも声をかけたい。
辛いことがあったときも声をかけたい。
『あなたがいてよかったよ』って言いたいし、言われたい。
友達だろうと同僚だろうと恋人だろうと家族だろうと。
そんなふうに私は周りを大切にできているのだろうか。毎日問いかけている。
『当たり前』がずっと当たり前であってほしい。
幸せに敏感でありたい。
だから、しっかり毎日を噛み締めて生きていきたい。
最終回
『所詮モラトリアムの集団が騒ぎ散らした三角公園にゲロを吐く最後』
『所謂モラリストの面さげて怒鳴り散らかした人混みの中で中指を隠す』
ここ数日この曲をエンドレスでリピートして聴いている。
三角公園。あそこで流した嬉し涙も、翌日の涙も出ないほどの絶望も絶対に忘れないだろう。
張り詰めた気持ちで過ごした日々。
周りなんてどうだっていい、みんな敵でも構わない。そんな風に思っていた。苦しくて夜中目が覚めてしまう。こんな日々が早く終わって欲しいと思っていた。バッドエンドでもなんでもいい、とにかく抜け出したいと。
そして1年続いたそんな日々が終わった日がその三角公園に行った翌日だった。絶望の傍ら、解放され、自分が嫌いになるスパイラルから抜け出せる、と安心した。
その後たくさん過去の答え合わせや擦り合わせをした。
事実と違っていること、事実通りのこと。
とにかく勘違いや誤解を解きたかった。自分が人の思い出の中で損したくないと切実に思ったからだ。周りから『悪い奴』と思われていることは認識していた。でも当時は誤解を解けずにいた。そして、何も言わず自分からそのコミュニティから離れていってしまったのだ。
先日、数年経って笑い話としてできたのだ。そしてうっすらその繋がりが今あることが幸せだ。そしてまた新たに発生した違うコミュニティで私のパーソナルな情報が知られていることが面白い。
こればっかりは、私が33年間生きてきた中で1番誇れることなのかもしれない。ハッピーエンドに導ける力。タイミングや運などもあるかもしれない。『絶対負けんなよ』と言われ続け、『絶対逃げないし負けない』と思い続けられた自分の強さ。自分は気が強い人間だと思っていたが、あそこまでだとは思ってなかった。
私の覚悟は相当固かった。誰に何を言われようと、どれだけ周りを敵に回そうともずっと微動だにせずいてやろうと思っていた。見えない敵と常に戦っていた。
中途半端に悩むんだったら辞めてしまった方が楽だ。逃げてしまった方が楽だ。人に愚痴を話すくらいならやめてしまえ、とすら私は思っている。愚痴を言ったところで何も解決しない。自分の問題だから。誰も解決してくれないし、誰も理解してくれない。孤独の中で自分に勝てるか。そこまでして手に入れたものは果たしてハッピーエンドなのかバッドエンドなのか。後から後悔しないものを選べたのか。
そして無事私はハッピーエンドをむかえられた。気が強いことすら忘れるくらいの平穏な日々を送っている。大仏だのスウェットだのなんだの他愛もない話をしてゲラゲラ笑えている。あれをしたい、これをしたい、あそこに行こう、ここに行こう、話すだけ話して寝たくなったら寝る、食べるだけ食べて疲れたら帰る、好きな時に好きなことをできている。嫌なことはしない、したいことだけする。うなされて夜中起きることも、人を憎んだりすることもなくなった。猫のような生活だ。
そして2020年は新しい生活が始まる。これからはゆっくりと焦らず歩いていきたい。
三角公園にも行きたい。当時の私の頭を撫でてあげたい。平穏すぎる日々をただただぼーっと噛みしめながら生きていきたい。
人生を一本の映画に見立てた時、死にたいと思うことたくさんあるけど、今死んだらやり残したことがありすぎてバッドエンドになってしまう。他の人に羨ましがられるようなハッピーエンドの人生にしたい。
『あの時隠した中指の意味をいつか言えたなら』