最終回
『所詮モラトリアムの集団が騒ぎ散らした三角公園にゲロを吐く最後』
『所謂モラリストの面さげて怒鳴り散らかした人混みの中で中指を隠す』
ここ数日この曲をエンドレスでリピートして聴いている。
三角公園。あそこで流した嬉し涙も、翌日の涙も出ないほどの絶望も絶対に忘れないだろう。
張り詰めた気持ちで過ごした日々。
周りなんてどうだっていい、みんな敵でも構わない。そんな風に思っていた。苦しくて夜中目が覚めてしまう。こんな日々が早く終わって欲しいと思っていた。バッドエンドでもなんでもいい、とにかく抜け出したいと。
そして1年続いたそんな日々が終わった日がその三角公園に行った翌日だった。絶望の傍ら、解放され、自分が嫌いになるスパイラルから抜け出せる、と安心した。
その後たくさん過去の答え合わせや擦り合わせをした。
事実と違っていること、事実通りのこと。
とにかく勘違いや誤解を解きたかった。自分が人の思い出の中で損したくないと切実に思ったからだ。周りから『悪い奴』と思われていることは認識していた。でも当時は誤解を解けずにいた。そして、何も言わず自分からそのコミュニティから離れていってしまったのだ。
先日、数年経って笑い話としてできたのだ。そしてうっすらその繋がりが今あることが幸せだ。そしてまた新たに発生した違うコミュニティで私のパーソナルな情報が知られていることが面白い。
こればっかりは、私が33年間生きてきた中で1番誇れることなのかもしれない。ハッピーエンドに導ける力。タイミングや運などもあるかもしれない。『絶対負けんなよ』と言われ続け、『絶対逃げないし負けない』と思い続けられた自分の強さ。自分は気が強い人間だと思っていたが、あそこまでだとは思ってなかった。
私の覚悟は相当固かった。誰に何を言われようと、どれだけ周りを敵に回そうともずっと微動だにせずいてやろうと思っていた。見えない敵と常に戦っていた。
中途半端に悩むんだったら辞めてしまった方が楽だ。逃げてしまった方が楽だ。人に愚痴を話すくらいならやめてしまえ、とすら私は思っている。愚痴を言ったところで何も解決しない。自分の問題だから。誰も解決してくれないし、誰も理解してくれない。孤独の中で自分に勝てるか。そこまでして手に入れたものは果たしてハッピーエンドなのかバッドエンドなのか。後から後悔しないものを選べたのか。
そして無事私はハッピーエンドをむかえられた。気が強いことすら忘れるくらいの平穏な日々を送っている。大仏だのスウェットだのなんだの他愛もない話をしてゲラゲラ笑えている。あれをしたい、これをしたい、あそこに行こう、ここに行こう、話すだけ話して寝たくなったら寝る、食べるだけ食べて疲れたら帰る、好きな時に好きなことをできている。嫌なことはしない、したいことだけする。うなされて夜中起きることも、人を憎んだりすることもなくなった。猫のような生活だ。
そして2020年は新しい生活が始まる。これからはゆっくりと焦らず歩いていきたい。
三角公園にも行きたい。当時の私の頭を撫でてあげたい。平穏すぎる日々をただただぼーっと噛みしめながら生きていきたい。
人生を一本の映画に見立てた時、死にたいと思うことたくさんあるけど、今死んだらやり残したことがありすぎてバッドエンドになってしまう。他の人に羨ましがられるようなハッピーエンドの人生にしたい。
『あの時隠した中指の意味をいつか言えたなら』