日常。音楽多め。

運命なんて言わないで欲しい

「なるべくして」とか「順当」だとか、「そういう運命だった」とか。そんな簡単な言葉で片付けられたくない。

 

 

運命?違うでしょ。努力と汗と涙だよ。

今 が間違いなく最先端で

後 に伏線だったと気づく。

 

 

気持ちの乗っていない言葉で傷つけれることほど悲しいことはない。ものすごい凶器になる。所詮自分のことはどうでもいいのだろうと思った。

 

 

 

 

とってももやもやした。悲しくて眠れなかった。

 

 

 

 

「無理だ」とか「今更」とか「もう遅い」とかなぜ他人から言われなきゃいけない?転んだことがないからそんなことが言えるのだろう。痛みも何もわからないのだろう。さぞかし恵まれて幸せに生きてきたのだろう。挫折したことなんてないのだろう。適当に過ごしてきたのだろう。大事なものを失ったことがないのだろう。失ったことにすら気付いていないのだろう。何もかもに鈍感なのだろう。悪気はなかったのだろう。でも心の中では許すことができなかった。

 

 

そこで言い返さなかった自分はすごく成長したな、と感じた。(結局ここで吐いてるが)

「えっ、人の血流れてないんじゃない?大丈夫?悪魔?」という言葉が喉まで出かけた。寸前で飲み込んだ。穏やかに笑って流した。

 

 

 

私はマイナスなことの方が自分を突き動かす。ネガティブが原動力になる。そして起爆剤になる。

そんなことで悲しんでる暇はない。だから今日さっそく「無理だ」と言われたことを始めた。私は無理だとは思っていない。自分の限界は自分で決める。無理かどうかは私が決めることだ。別に今後やり遂げた時にドヤ顔で「どうだ!やってやったぜ!言ったこと後悔したでしょ?」などと言うことはない。影の努力すら知られたくもない。鼻で笑った人のために頑張るのではなく、自分自身のためだけに頑張る。

 

 

気が立って見えるかもだが、意外と冷静だしポジティブだ。

 

 

 

私も気をつけようと思った。傾聴姿勢、言葉選び。そして自分に向かって一生懸命話してくれる人に対して真摯に受け止めて感情を込めて会話をしようと思った。めんどくさかろうとなんだろうと。1:1なら尚更。人の気持ちなんて一瞬で変わる。たった一言で変わってしまう。

 

 

 

さあ、ネガティブなことはここで終了。

 

 

愛しくて、寂しくて、楽しくて、哀しくて、悔やみながら、満足感を得ながら、何かを失くしながら、大声をあげて涙を流せるような瞬間を、ずっとずっと探している。

 

「よし!肖ろう!自分も頑張ろう」と言ってくれる人もいる。

 

 

猫と一緒に穏やかに生きていく人生が今年始まろうとしている。家具探すのも楽しいし、食器選ぶのも楽しい。家電どうしようとかインテリアどんな感じに配置しようかとか。毎月焼肉の日を作っておいしい焼肉をたらふく食べるとか。おいしいもの調べて食べに行くとか、おいしいコーヒー屋さん開拓するとか、たくさん旅行するとか。これからどんどん幸せになっていく。

 

 

 

 

 

きっと楽しいんだ、人生は。結末は知らずとも。

それでも全てを運命と言いたくはない。

 

やはりサバプロはかっこいいなあ