日常。音楽多め。

2014.04.27

私は地下鉄に乗っていた。途中から地上に出る路線。一気に明るくなり、太陽の光がとても眩しかった。

埋め立て地であるとある場所に向かっていた。

 

駅からその場所までの風景は昔から嫌いではなかった。海風がいつも強く吹いていた。長い髪は乱れ、髪に口紅がつくほどその日は風が吹き荒れていた。10分ほど歩くと何故こんな僻地にあるのかというところにその思い出の場所がある。

いつもは夜来る場所だ。朝来たのはこれが初めてだった。まるで違う建物のように見えた。これから始まる未来に胸を馳せていた。

 

1番の目当てはあっという間に終わり、その後のことはおまけ程度に考えていた。

 

 

 

しかし、そのおまけがその後の私を大きく変えた。

 

 

 

ぼーっとその時を待っていた。談笑していた。本気で笑えていなかったと思うし、つまらない、くだらない話だ、とすら思っていた。

照明が消え、cap'n jazzが流れた。そして照明が目潰しになった。その瞬間胸をうたれた。言葉にならない衝撃を受けた。

 

 

その頃の私は何もかも上手くいっていなかった。何に対しても不満しかなかった。

当時の写真を見返してみると表情は憎しみに満ちていた。この世の全ての人が敵だと思っていた。人を恨み、人を憎み、人に嫉妬し、人が嫌いだった。心の余裕なんてなく、焦りや不安で一杯だった。思いやりすら持てなかった。

 

 

そんな真っ黒な自分に向けて真っ直ぐにぶつかってきた。相手の矛はあまりにも痛すぎた。私は必死で盾を立てた。

 

私が必死に自分を守っていた盾は紙でできた盾だったのかもしれない。10秒ほどですぐにボロボロになり、使い物にならなくなった。

 

私が持っていた人に向ける矛は毎日研いだ、とても鋭い金属だった。そして矛で自分自信を守っていた。しかしその日ばかりはなぜか矛ではなく、盾を向けた。あまりにも急すぎて、そしてあまりにも衝撃的すぎて矛をむける余裕すらなく、とりあえず脆い盾を向けたのだ。

 

 

ボロボロになった盾を捨ててあとは時に身を任せて心が死ぬのを待っていた。

 

 

 

20分ほどのあれは衝動だった。

明るくなった瞬間、自分が綺麗な涙を流していたことに気づいた。流した涙を拭おうともしなかった。とにかく呆然と立ち尽くしていた。言葉を失った。そして人の心を取り戻した気がした。世界が目を覚ました。

 

 

 

 

 

今となっては少し変わってしまったが、あの衝動だけは5年経った今でもまだ追いかけている。感動という言葉で片してはいけない。雷に撃たれたような震えの類だろう。

あの日あの場所にいて目撃した人にしかこの感情はわからない。

 

きっとこの先も忘れることはないだろう。

 

そしてまた身震いするようなあの衝動に出会える日を私は待っている。

勘違いして生きること

もっと勘違いして生きていたいと思うようになった。若い頃は勘違いしかしていなかった。どこからか湧き出てくる根拠のない自信しかなかった。そんなことを思い出させてくれる曲がこの曲だ。

 

My Hair is Bad 優しさの行方

YouTube

 

 

中二病だ。(褒め言葉)

 

今回書くことと少し趣旨は異なるが、好きな歌詞が潜んでいる。だから好きな曲だ。

 

 

 

若い頃は10センチ程あるヒールをコツコツ鳴らして歩いている自分の脚はブエナビスタの脚のように美しい、だとか、

好きな人の前で泣く時、鏡に映る自分を想像し、切なそうに微笑みながら美しく涙を流す『ジョーブラックをよろしく』のクレア・フォーラニのように今私は泣いていて、相手は少しグッときているのだろう、などと心底気持ち悪い自信を持っていた。(こういう人をナルシストと言うのだろう。)

 

 

今では社会の荒波に揉まれに揉まれて、自分のことを俯瞰的に見ることができるようになった。自分を"正確な"物差しで測れるようになったのだ。クレア・フォーラニがうんちゃらかんちゃら言っていた時分の物差しは1cmが5mくらいあった。JIS規格なんてもっての他。規格外すぎるとんでもない物差しで測っていた。

 

 

ただ、それがいいことばかりではない。過去のように目盛を誤魔化すして自分の物差しで測るのではなく、社会・上司・友人などあらゆる自分を取り巻く人によって作り上げられたであろう規格内の物差しできっちり測り、はみ出した部分を修正するようになっていた。"正確な"物差しは所詮他人が作ったものだ。

 

 

このラインより自信を持ってはいけない。(ナルシストだと思われる)

このラインより自分のことを発言してはいけない。(空気を読まなければいけない)

謙虚であることが美学である。(内心はそんな風潮はクソだと思っているが)

 

そんな"正確すぎる"物差しは自分を削りかねない。

 

「でもその"正確な"物差しと狂った物差し、両方とも持ち合わせているのがバランスいいしベストだよね!」ということは敢えて今回は書かないようにしようと思う。

 

 

 

ブエナビスタの美しい御御足とクレア・フォーラニの美しい泣き顔を持っていた私は何を隠そう最強だった。実際毎日が楽しかったし充実していた。何事も上手くいっているような気がした。

 

他人からどう思われようが何も恐れていなかった。きっとその過程でフェードアウトしていった友人もいただろうが覚えていない。

 

 

最近歳を重ねたことにより、もっと面白味のある大人でいたいという欲がでてきた。自分を客観視できて、自分に余裕や社会的自信が生まれたからこそ狂った物差しをまた持ちたいと思うようになった。"正確すぎる"物差しが窮屈になった。

 

 

勘違いでもいい。自分を輝かせることができる勘違いなんて素敵すぎるではないか。

 

 

さすがにブエナビスタやクレアのような的外れな勘違いは痛すぎるのですることはないが、狂った物差しで自分を測って勘違いしていたい。それを現実逃避とは言わないだろう。

 

 

時に狂った物差しで自分を測ってみること。これが私の正解だと確信してきた。

その正解だと思っていることが勘違いであったとしても、その勘違いに自信を持って騙されていたい。

 

自分を騙すこと、自分に勘違いすること。

新たにエンカウントした考えに迷いはない。

 

 

騙されていたい、このままずっと。

佳代と高円寺

私は音楽が好きだ。自分の感情を上手く消化させてくれる。時に気持ちを上乗せさせてくれるし、言語化できない感情を解説して寄り添ってくれる。そしてそれが沢山ある自分の思い出のフォルダのBGMとなり、たくさんの過去の感情を思い出させてくれるからだ。

その中の一つ、GOING STEADYの『佳代』は高円寺に行くたびに口ずさんでしまう。

 

 

この曲を聞いていた当時は高校生だった。素朴な女子高生。地方の田舎にいて、東京なんて憧れの場所。そして歌詞に登場する"高円寺"という街を想像しながら憧れを抱いていた。

 

そしてその当時17歳の時、彼氏がいた。毎日が楽しくて、毎日自転車で一緒に帰って、毎日たくさん話をしていた。リッケンバッカーを背負っていた。重いからと私のリッケンバッカーを持ってくれていた。毎日が幸せだった。2人のためにこの星はまわってるとも思っていた。

 

数ヶ月後、その彼とちょっとしたすれ違いで別れてしまった。今となればなぜあんな些細なことで別れてしまったのかわからない。ふと流れた曲が『佳代』だった。ポータブルMDプレイヤーで『さくらの唄』を聴いていた。毎日取り替えることもなく、延々と『佳代』だけをリピートしていた。悲しみに暮れ、リッケンバッカーの重さが倍に感じた。多感な高校生の時に『佳代』=失恋の曲という概念が埋め込まれた。

 

まだ見たことのない高円寺という街はどんなに素敵な街なんだろうか。夢や希望や愛に溢れていて、それでいて儚く尊い。そんな気がしていた。

 

 

18歳になり、大学進学のため上京してきた。

その後高円寺に初めて降り立った時、17歳の自分が涙を溜めて睨んできた。きっとまだこの時、自分の中で何かを消化しきれずにいたのだろう。『彼女』を直視することができなかった。それもそうだ。消化不良を起こしたまま上京してきたし、失恋からまだ1年ほどしか経っていなかった。

涙を溜めて睨んでいる自分が可哀想だった。

 

高円寺の街並みにはまるで何回も過去に来たことがあるかのような懐かしさを感じた。17歳の時に想像していた高円寺と幾分差異はなかった。(自分の想像力はすごい、と思ったが今になって考えてみると自分の想像力ではなく、高円寺の情景を想像させることができる峯田の才能がすごいと気づき、少し恥ずかしい)

 

私は佳代になりきって物思いにふけながら純情商店街を歩いた。

ドイツにも行ったことがなければ色白でもないし、白ブラウスも着ないし、彼氏にビルケンのサンダルをプレゼントしたこともない。想像は自由だ。

 

 

それから20代になり、高円寺に行くことはなかった。特に自分から行きたいとも思わなくなり、憧れの街は次第に渋谷や表参道、代官山などになっていった。どんどん垢抜けて東京に染まっていく自分に高円寺は似合わないとまで思ってしまっていた。(何という勝手な偏見)

17歳の失恋のことなんて思い出すこともないまま社会人となった。『佳代』も次第に聴かなくなり、むしろ多感な時期の辛い思い出が蘇るし、恥ずかしいから聴きたくないとまで思うようになった。いわゆる黒歴史認定をしていた。

 

 

 

 

そして数年が経ち、32歳になった。先日久しぶりに高円寺に向かった。

するとまた高校生当時のあの頃の自分が涙を溜めて睨んできた。

 

思い出すこともないだろう、聴くこともないだろう、と思っていた曲を自然に口ずさんでいた。そして懐かしむ気持ちで、微笑みながら高円寺を歩いていた。

 

涙を溜めて睨んできた17歳の自分ですらも微笑ましかった。

 

あの頃の自分があったから今の自分がいる。小さな思い出や経験を全て肯定できたから笑えたのだろう。あの頃の自分を抱きしめて慰めてあげることができた。

 

 

まだ『さくらの唄』は自宅にある。ただ、どこにしまっているかははっきりとはわからない。今はサブスクリプションで『佳代』を聴いている。

名前をつけて保存していた曲と思い出は15年後にアップデートされた。

 

 

 

こうやって私は音楽と共に生きている。それぞれの場所、思い出にBGMとなってリマインドしてくれる。

 

きっとまたいつか高円寺に降り立つ時も涙を溜めて睨んでいる自分がいるだろう。

 

次も微笑んで見れたらいい。また抱きしめてあげれたらいい。微笑んで見れるということは今の自分が幸せだからだ。